かつてのソロモンの神殿はダビデが志を立てソロモンが建設しました。
ゼルバベルの神殿は神様がご自分の民からの真実な礼拝を求めて
神様ご自身がご計画なさり、神様がユダとエルサレムの民を用いて
これを建てたと言ってよいでしょう。
BC539、ペルシャの王クロスがバビロニア帝国を滅ぼします。そしてその第1年に
「すべて主の民に属する者はだれでも、
・・・ユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。」
(エズラ1:3)とおふれを出します。ユダやベニヤミンの人々にとっては
思ってもみなかった朗報です。驚くべきことに、このクロス王によるバビロン攻略と
神殿再建命令は、150年前の預言者イザヤによってクロスの名と共に
はっきりと預言されていました(イザヤ45:1〜4、44:28)。神様は荒療治によって、
その民を整えられるご計画だったのです。
かつてのアッシリア帝国の強制移住政策は民族の尊厳を完全に剥奪するものでした。
北イスラエル王国の10部族はアッシリアに強制移住させられた後、壊滅してしまいます。
南ユダ王国の2部族はバビロニア帝国によってバビロンに強制移住させられ、
偶像に満ち満ちた町に居住することになります。もちろん神様にいけにえを
ささげることなどできません。この経験によりユダの人々は偶像礼拝の愚かさを知り、
イスラエルの神を切に慕う信仰を回復します。神様が備えられたバビロンでの
次の支配者ペルシャ帝国は、属国の尊厳を守りゆるやかに支配する国でした。
ユダの人々の尊厳を重視する象徴としてクロス王は、
エルサレムの神殿の再建を命じるのです。こうしていよいよイスラエルの神を
真実な心をもって礼拝することを願う人々が、神の都エルサレムに戻されるのです。
このとき以来、イスラエル人は今日に至るまで、偶像と決別します。
神様の荒療治が功を奏したのです。
こうしてBC537、総督ゼルバベル(エズラ1:11)と大祭司ヨシュア(2:2)率いる
42,360名(2:64)が、ユダに帰国し、
「自分たちのもとの町々に住みつ」(2:70)
きました。
この年はちょうどエレミヤが預言(25:11,12、29:10)し、
ダニエルがその預言を説き明かした(9:2)
「エルサレムの荒廃が終わる70年目」にあたる年でした。
ユダの人々が学習するこの期間を神様はちゃんと予定しておられました。
帰国してもまもなく「第七の月が近づくと、
民はいっせいにエルサレムに集まって来」(エズラ3:1)ました。
総督ゼルバベルや大祭司ヨシュアが召集をかけたわけではなさそうです。
自発的な行動でした。かつてユダの地にいて行なっていた年に3回の主の例祭のひとつ
「仮庵の祭り」(3:4 7/1〜22)を
祝いたかったからです。実にバビロンにいる70年間、神にいけにえを
ささげたくてもささげることができませんでした。神殿の再建のために
帰って来たのですが、神殿の一部である祭壇だけをまず築きます。
とにもかくにも全焼のいけにえをささげて、神様を讃えたかったのです。
このときを渇望していました。イスラエルの神こそ礼拝をささげるにふさわしい
生きたまことの神様であることを、70年間の捕囚生活を通して学びました。
そして翌年BC536、第2の月に神殿の工事が始まりました。祭司、レビ人たち、
および捕囚からエルサレムに帰って来たすべての人々が
一致して工事に当たりました。
すると「私たちも、
あなたがたといっしょに建てたい。」(4:2)という人たちが現われます。
神殿を建てるというのですから、イスラエルの神を礼拝する人たちなのでしょう。
案の定、彼らは「私たちは、
あなたがたと同様、あなたがたの神を求めているのです。
・・・私たちは、あなたがたの神に、いけにえをささげてきました。」(4:2)
と言います。「それならばせっかくですから一緒に建てましょう。」
と言いたいところですが、総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアたちははっきりと
「私たちだけで、イスラエルの神、
主のために宮を建てるつもりだ。」(4:3)と断りました。
「不信者と、つり合わぬくびきを
いっしょにつけてはいけません。」(Uコリント6:14)という、
後にパウロが教えたそのとおりの答えをしました。
「すると、その地の民は、建てさせまいとして、
ユダの民の気力を失わせ、彼らをおどし」(4:4)、
その本性を現します。
このあたかも善意により近づいてきたと思われる
「アッシリヤの王エサル・ハドンが、
私たちをここに連れて来た」(4:2)と言っている
この人たちは何者なのでしょうか。
先にも触れましたように、
「(北)イスラエルは自分の土地から
アッシリヤへ引いて行かれ」 (U列王記17:23)ました。
そして「アッシリヤの王は、バビロン、クテ、アワ、
ハマテ、そして、セファルワイムから人々を連れて来て、
イスラエルの人々の代わりにサマリヤの町々に住ませ」(17:24)たのです。
彼らはその強制移住させられてきた人たちでした。
彼らがサマリヤに入植したときにひとつの事件が起きました。
それは獅子が人々を襲ったのです。これに恐れをなした人々は、
イスラエルの神の怒りと理解し、異邦人でありながら、
イスラエルの神をなだめる必要を感じ、アッシリアの王に相談し、
イスラエルの祭司を得て、その礼拝を行うことにしました。
しかしイスラエル王国が南北に分裂したヤロブアム王のとき以来、
北イスラエル王国はベテルとダンに据えた金の子牛をイスラエルの神として
いけにえをささげてきました(T列王記12:25〜33)。
そのまちがった礼拝をしてきた祭司を連れてきて指導を受けたのですから、
形はまちがっているし、その動機も怒りを鎮めるためでしたから、めちゃくちゃです。
そこには謙虚な信仰の姿などありません。
「彼ら(サマリヤに入植した人たち)
は主を礼拝しながら、同時に、自分たちが
そこから移された諸国の民のならわしに従って、自分たちの神々にも仕えて」
(U列王記17:33)いました。こういうことで、彼らはイスラエルの神に対する信仰を
持っていませんでしたけれども、イスラエルの神を礼拝していました。
いかにもおかしな姿ですけれども日本人も同じことをしているのではないでしょうか。
自分の宗派がありながら葬儀では他の神仏を平気で拝んで不思議に思うことがないのです。
サマリヤ人というとすぐ思い出されるのが「よきサマリヤ人」(ルカ10:30〜37)と
「サマリヤの女」(ヨハネ4:3〜26)の記事です。先の背景から、ユダヤ人はサマリヤ人を
、異邦人としてたいへん嫌っていました。けれども「サマリヤの女」は、
所在の定まらない生き方をしていましたが、イスラエルの神こそ、
礼拝すべきまことの神だと気づいていました。
「私たちの先祖(サマリヤ人)
は、この山で礼拝しましたが、あなたがた(ユダヤ人)
は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」
(ヨハネ4:20)と形から入る質問イエス様に投げかけていますが、
礼拝の対象に関心がありました。ですから彼女はイエス様を理解するのが早かったのです。
宗教は形を大切にしますが、何よりも大切なのは礼拝する対象です。
その神が、私たちの人生、ひいては永遠を委ねてよいものか、真剣に考えるべきです。
イエス様は復活の後、オリーブ山から天に登られる前に、弟子たちに
「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、
・・・エルサレム、ユダヤと
サマリヤ
の全土、および地の果てにまで、
わたしの証人となります。」(使徒1:8)
と告げられました。近いところから遠いところへ、そしてユダヤから異邦人へ、
その異邦人社会への広がりの象徴として、サマリヤが挙げられました。
イエス様の十字架の贖いの御業によって、イスラエルの神は、全人類の神に戻ったのです。
すべての人がイスラエルというサンプルをもってまことの神を知る時代は終わり、
イエス様によって直接神様を知る時代になったのです(ヨハネ14:9)。
話を神殿再建の妨害に戻します。
サマリヤ人は「議官を買収して彼らに反対させ、
この計画を打ちこわそうとした」(エズラ4:5)り、
「告訴状を書いた」(4:6)り、
妨害を続けます。そしてついにペルシャの王アルタシャスタから中止命令が下り、
武力をもって中止させられてしまいます(4:23)。BC520、ダリヨス王の第2年まで、
約15年間、中断されます(4:24)。
神殿を再建するためにエルサレムに帰還した人々も、サマリヤ人の妨害により出された
アルタシャスタ王の中止命令から時が経ち、すっかり志を忘れ、
「主の宮を建てる時はまだ来ない、と言って」
(ハガイ1:2)「宮が廃墟となっているのに、
・・・(自分たちは新築した)
板張りの家に住」(1:4)んでいるという有様でした
。神様は日照りをもって、ユダとエルサレムの民を喚起しますが、
目覚める様子はありません。
そこで神様は、BC520第6の月の1日に、預言者ハガイを遣わし、
「あなたがたの現状をよく考えよ。山に登り、
木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、
わたしの栄光を現わそう。」(1:7,8)と叱咤激励されます。
するとわずか24日後の第6の月の24日に、主によって心を奮い立たせられ、
工事は再開されます(エズラ5:2、ハガイ1:14,15)。
たまには怒られることも必要かもしれませんね。
すると再びサマリヤの総督タテナイたちがやって来て、妨害にはいります。
しかし今回は神様の目が注がれていましたから、
工事が中断されることはありませんでした(エズラ5:3〜5)。
サマリヤ人はペルシャの王ダリヨスに訴え出ますが、
ユダとエルサレムの人々の主張する、ペルシャの王クロスの神殿再建命令が
文書によって確認され、逆にサマリヤ人に支援するよう、
命令が下されます(エズラ5:6〜6:13)。
この間、神様は預言者ハガイ(BC520第7の月の21日ハガイ2:1、
第9の月の24日 2:10、20)と預言者ゼカリヤ(BC520第8の月ゼカリヤ1:1、
第11の月の24日 1:7、BC518第9の月の4日 7:1)を通して、次々と、
総督ゼルバベル、大祭司ヨシュア、そして民の残りの者を励まされます。
神様は預言者ハガイによって、先にも見ましたように、民の道義心に訴え、
人々を奮起させます(ハガイ書)。また預言者ゼカリヤによっては、
民に民族の未来の栄光を啓示し、それを待望する大胆な信仰に導きます(ゼカリヤ書)。
神様の力強い励ましが、妨害をものともしないで、
大事業を推進する原動力となりました。
ゼカリヤが語った未来のイスラエルにはイエス様に関することが
かなり具体的に登場してきます。簡単に主な箇所を紹介だけしておきます。
でもゼルバベルにとってはダビデの家の再興ですから大いに励みになったことでしょう。
「わたしのしもべ、一つの若枝(イエス様)
を来させる。」(3:8)
「あなたの王(イエス様)
があなたのところに来られる。この方は正しい方で、
救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。」(9:9)
「「わたし(イエス様)
が値積もりされた尊い価を、
陶器師に投げ与えよ。」そこで、・・・銀三十を取り、
・・・投げ与えた。」(11:13)
「彼らは、自分たちが突き刺した者、わたし(イエス様)
を仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、
その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。」(12:10)
「罪と汚れをきよめる一つの泉(イエス様)
が開かれる。」(13:1)
「主(イエス様)が出て来られる。」(14:3)
「主(イエス様)
は地のすべての王となられる。」(14:9)
こうしてBC516 第12の月の3日に、神殿は完成しました
(エズラ6:14,15)。神様は実にペルシャの王クロスによって神殿再建命令を下し、
ダリヨス王によって中断後の障害を取り除いて、完成に導かれました。その間、
総督ゼルバベル、大祭司ヨシュアを指導者としてたてられ、再開し完成するためには、
預言者ハガイとゼカリヤを用いられました。
また名の記されていない多くの民を用いられました。実にこの大事業を推進したのは、
ユダとエルサレムの民の礼拝を求められる神様ご自身でした。
さて、この神殿は、一般的には「ゼルバベルの神殿」と呼ばれています。
それは総督ゼルバベルが主導的な役割を担ったからでしょう(ゼカリヤ4:9)が、
実はこの人物、ペルシャ王クロスが神殿再建のためユダの総督に任命する前は
「ユダの君主シェシュバツァル」
(エズラ1:8)と知られていたダビデ王家の血を受け継ぐ者です。
ダビデの子イエス様の系図にも、「ゾロバベル」
(マタイ1:12)と表記されていますが、登場します。
ゼルバベルの神殿はソロモンの神殿に比べたら、見劣りのする神殿であった
(エズラ3:12、6:17)でしょう。しかし神様の臨在するところとして、
その意義は同じです。そしてヘロデによって手が加えられるとはいえ、
この神殿に、後にイエス様が足を運ばれることになるのです。
現在のキリストの集会も、主イエス様がご臨在なさる「神の神殿」(Tコリント3:16)です。
神殿は、神様が臨在され、神様を礼拝するところです。
神様はご自分の民イスラエルからの礼拝を切に求めておられました。長い間、
エルサレムにソロモンの神殿があり、いけにえがささげられていましたが、
同時に民の間には偶像がありました。バビロン捕囚を経験して
今こそイスラエルの神の誠実さを知った民より、
神様は真実の礼拝を受けられるときを迎えておりました。
ですからこのタイミングで、神様ご自身が神殿の再建を計画、推進されたのでした。
人は、神様を礼拝するものとして創造されました(創世記1:26)。神殿が完成し、
BC515 第1の月の14日に過越のいけにえをささげたとき、
民の間に真の喜びがありました(エズラ6:19〜22)。そしてあのサマリヤの女も
イエス様から「真の礼拝者たちが霊とまことによって
父を礼拝する時が来」(ヨハネ4:23)ていることを教えられ、
それまでの日陰の生活を捨て、大胆にサマリヤの町に出て行って、
人々にイエス様をキリスト(メシヤ)と紹介します(ヨハネ4:28,29)。
まことの神様を礼拝することを知ると、私たちの魂はあらゆる束縛から解放されて、
神様から来る喜びに満たされます。