先回まで、北イスラエル王国で神様に用いられた預言者たちを中心に
取り上げてまいりました。今回からしばらく南ユダ王国の王様や預言者を
取り上げていきたいと思います。少し時代が逆行します。
今回は南ユダ王国第4代のヨシャパテ王を取り上げたいと思います。
ソロモン王の後、王国は分裂し、北イスラエル王国と南ユダ王国になりました。
北イスラエル王国と異なり、南ユダ王国は、ダビデの子孫が王様になることが
了解されていました(U歴代誌7:18、23:3)。南ユダ王国では基本的には神殿において
イスラエルの神様がちゃんと礼拝されていました。しかしときには、
北イスラエル王国のバアル礼拝が持ち込まれたり、などすることもありました。
ヨシャパテ王は、その中でも、お父さんの第3代アサ王に続いて、
良い王様として覚えられます。神様とともに歩んだ(U歴代誌17:3)からです。
「主はヨシャパテとともにおられた。
彼がその先祖ダビデの最初の道に歩んで、バアルに求めず、その父の神に求め、
その命令に従って歩み、イスラエルのしわざにならわなかったからである。」
(U歴代誌17:3,4) ヨシャパテ王はどのように神様とともに歩んだのでしょうか?
ヨシャパテが王様になったのは35歳のときでした。すでに十分に成人し
分別がつく年齢になっていました。お父さんのアサ王が
「ただ一筋に喜んで主を慕い求め、
・・・主は周囲の者から守って」(U歴代誌15:15)くださって、
実に41年の長い間政権を担当するという良い模範を見てきました。
と同時にまた、アサ王は長い安息に慣れてしまって、その治世の36年、
北イスラエル王国のバシャ王の襲撃にあったときには、神様に拠り頼まないで、
アラムの王ベン・ハダテに助けを求めるという失敗をしてしまいます(U歴代45:2〜10)。
またその治世の39年に病気になっても
「主を求めることをしないで、逆に医者を求め」
(U歴代誌16:12)ました。それを反面教師として学んでいました。
そこでヨシャパテ王がその治世の初めに行ったのは、
ひとつには「ユダにあるすべての城壁のある町々に
軍隊を置」(U歴代誌17:2)いたこと、ふたつめには
「高き所とアシェラ像をユダから取り除いた」
(U歴代誌17:6)こと、そして3つめ、おそらく最も大切なことでしょう。
つかさたち、レビ人、祭司によって「主の律法の書を
・・・ユダのすべての町々を巡回して、民の間で教えた」(U歴代誌17:7〜9)こと、
でした。こうして神様を慕い、従う心を南ユダ王国の民全体にもたらしたのです。
その結果、神様はヨシャパテ王をいよいよ祝福し、周辺諸国から守り、
国内のインフラを整備させ、そして多くの勇士たち、
実に116万人もの勇士をお与えになったのです(U歴代誌17:10〜19)。
ちなみに日本の自衛隊は陸、海、空、総合幕僚会議を含めてもわずか
25万人にすぎません(2004.3.31.現在)。
ヨシャパテ王は、北イスラエル王国のアハブ王と縁を結んでいました。
あるとき北イスラエル王国の首都サマリヤを訪問したとき、アハブ王から、
アラムによって奪われた北イスラエルの領地ラモテ・ギルアデを
奪い返す戦いに参戦するよう求められます。そこで神様のみこころを伺う姿勢を
大切にしていたヨシャパテ王はアハブ王に、「まず、
主のことばを伺ってみてください。」(U歴代誌18:4)とお願いします。
集められた400人の預言者たちは口々にラモテ・ギルアデを攻め上るように勧めますが、
ヨシャパテ王はどうもその答えに納得ができません。そこであえて失礼を省みず、
「ここには、私たちが
みこころを求めることのできる主の預言者がほかにいないのですか。」
(U歴代誌18:6)と聞きます。するとミカヤという預言者が召し出されます。
けれどもミカヤはアハブ王のご機嫌をとる預言者ではなく、
神様のみこころを伝える預言者でしたから、
日頃からアハブ王の望まない預言をするケースが多かったようで、
アハブ王から嫌われていました。案の定、このときも、
アハブ王がラモテ・ギルアデの戦いで戦死すると預言するのです。
結局、ヨシャパテ王はアハブ王とともに戦場に赴きます。
ミカヤの預言が気にかかっていたアハブ王は変装して出陣します。
アラム軍はアハブ王と思いヨシャパテ王に向かってきます。
ヨシャパテ王は神様に助けを叫び求めます。ヨシャパテ王はいつでも救いは
主から来ることを知っていました(U歴代誌18:31)。
病気になっても救いを医者に求めた父アサ王とは違いました。
この戦いでひとりの兵士が何気なく放った矢でアハブ王は戦死してしまいます。
北イスラエル王国を政治、軍事、行政、あらゆる面で栄えさせたアハブ王は、
こうして神様の御声に耳を傾けなかったために、あえなく死んでしまいました
(U歴代誌18:33,34)。
このアハブ王をラモテ・ギルアデの戦いに出陣させ戦死させる方法を検討する、
天において開かれた会議の様子が、預言者ミカヤによって語られています
(U歴代誌18:18〜22)。私たちは神様の御手の中に生かされている存在にすぎないのです。
「この後、モアブ人とアモン人、
および彼らに合流したアモン人の一部が、ヨシャパテと戦おうとして攻めて来た。」
(U歴代誌20:1) 父アサ王のときも長い平穏な時代を過ごしていたとき
北イスラエル王国のバシャ王が攻めてきて、アラムの王ベン・ハダテに助けを求める
ということがありました。しかしすでに国内深くエン・ゲディまで進入している敵を前にして、
ヨシャパテ王のしたことは「ただひたすら主に求め、
ユダ全国に断食を布告した」(U歴代誌20:3)ことでした。
すでに見てきたように116万人という勇士がヨシャパテ王にはいました。
彼らに頼ることで、死海の東側からやってきたおびただしい大軍に
立ち向かうことができたはずです。同盟している北イスラエル王国に
助けを求めることもできたはずです。ヨシャパテ王はよく知っていました。
「天におられる神(は、ユダ王国だけではなく)
・・・すべての
・・・国を支配なさる方で(あって)
・・・だれも、(神様)と対抗してもちこたえうる者は
(いない)」(U歴代誌20:6)こと、を。そしてカナンの地にイスラエルの民を
導きいれられた神様に、その地から追い払おうとしているアモン人たちを
さばいて下さるように、訴えます(U歴代誌20:7〜12)。イスラエルを
今日まで導いてこられた神様に訴えること、天地万物の主権者に訴えること、
これこそ最大の武器であることをヨシャパテ王はよく知っていました。
神様は見えない御方ですから、私たちはついつい見えるものに頼りたくなるものですが、
神様の足跡をたどってみると、生ける神様こそ最も頼るべき御方であることが
分かります。世界は神様によって創造されたのですから、
すべてのものは神様の支配下にあります。神様は人を交わりの対象として
創造なさいましたから、神様を礼拝するものを大切になさいます。
神様は罪人を愛して御子イエス様を十字架に身代わりとして
さばいてくださったほどですから、神様に信頼するものに
最もよい形で応えてくださいます。
ヨシャパテ王の訴えに神様は、レビ人ヤハジエルを通して
「この戦いはあなたがたの戦いではなく、
神の戦いである」(U歴代誌20:14,15)と答えられます。
さらに「この戦いではあなたがたが戦うのではない。
しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ。」
(U歴代誌20:17)と告げられます。ヨシャパテ王もユダの人々もエルサレムの住民も、
主を礼拝し賛美します。そして翌朝、出陣するのですが、
実に武装した兵士の前を賛美する者たちが先に進むのです。
そしておそらく出陣してまもなく「主に感謝せよ。
その恵みはとこしえまで。」(U歴代誌20:21)と喜びの声、
賛美の声をあげ始めたとき、ユダ王国の勇士たちが参戦する前に、
神様が供えられた伏兵によって戦端は切られ、アモン人、モアブ人、
セイル山の人々の同士討ちが始まり、その大軍は全滅してしまうのです。
ヨシャパテ王とユダの民がしたことといえば、
3日もかけて分捕りものを集めまわったことだけでした。
神様は生きておられます。神様を愛するものに最善をもって応えてくださいます。
そして御自身の栄光を私たちに見せてくださいます。
北イスラエル王国のアハブ王がラモテ・ギルアデの戦いで戦死したことを、
先に見ました。その後、北イスラエル王国はアハブの息子アハズヤに引き継がれ、
さらにその弟ヨラムに引き継がれていました。しかし絶大な力を誇ったアハブ王が死ぬと、
モアブの王メシャはさっそく北イスラエル王国にそむき、みつぎものを納めるのを
やめてしまいます。これを成敗しようと、北イスラエル王国のヨラム王は、
南ユダ王国のヨシャパテ王と、その南のエドムの王に呼びかけ出陣します。
このときの戦いについてはすでに「預言者エリシャと奇跡」ですでに触れましたので
詳しいことは書きませんが、このときも、北イスラエル王国の王ヨラムが
絶望しているときに「ここには主のみこころを
求めることのできる主の預言者はいないのですか。」(U列王記3:11)と
ヨシャパテ王は尋ねます。そして預言者エリシャが登場し、ヨシャパテ王のために
預言します。結果、戦いには勝利しますが、モアブは北イスラエル王国の支配から
脱することになります。
ここでもヨシャパテ王は、神様のみこころを尋ねることを拠りどころとしていて、
神様はその信仰を喜んで答えてくださっております。
「神とともに歩んだ」と聖書の記述者が記しているのは、エノク(創世記5:22,24)、
ノア(創世記6:9)、そしてヨシャパテ王(U歴代誌17:3)の3人だけでしょう。
それだけにこの時代に、聖霊がそのように証印したヨシャパテ王の生き方は
さいわいなものであったと思います。
実際その生涯の3つの戦いについても、
けっしてヨシャパテ王は仕掛けてはいないのです。
ラモテ・ギルアデの戦いはアハブ王が仕掛けた戦いですし、
モアブ成敗もヨラム王が仕掛けた戦いです。いずれも出陣してはいますが、
ヨシャパテ王の戦いの様子は記されていません。
アハブ王もヨラム王も欲があったので戦いを望みました。
けれども平和の神様とともに歩んでいたヨシャパテ王は自らは戦いを望まない
平和の王でした。アモン人、モアブ人、セイル山の人々が来襲したときも、
結局戦いは交えてはいません。このときは神様が守ってくださって、
諸国に神様の威光が現わされることになりました(U歴代誌20:29)。
イエス様を捕えにきたユダと群集に対して、ペテロが大祭司のしもべに撃ってかかって、
その耳を切り落としたことがありました。イエス様がそれをいさめ、
いやされ、そして「わたしが父にお願いして、
十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができない
とでも思うのですか。」(マタイ26:53)とおっしゃいました。
ヨシャパテ王にも先に見たように多くの勇士がいましたが、
あくまで戦うためではなく、備えるための軍団でした。
ヨシャパテ王は神様が生きている力ある神様であることをよく知っていました。
ふたつの戦いでは、預言者によって神様のみこころを尋ねるよう求めていますし
、来襲があったときには直接神様に訴えています。つねに神様とともに歩んでいました。
かつてアハブ王は、預言者エリヤとバアルの預言者450人が、
「火をもって答える神、その方が神である」
(T列王記18:24)と、対決したことをよく知っていました。
にもかかわらず生きて力ある神様にゆだねることはなかったのです。
38年もの間、病気にかかっていた人をいやしたイエス様が、ユダヤ人たちに、安息日にいやしたことによって迫害されたとき、「わたしの父は
今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」
(ヨハネ5:17)と答えられました。神様は生きて働いておられます。
ヨシャパテ王は、南ユダ王国の民に律法を教えて、神様を知り、神様と交わり、
神様を礼拝し、神様とともに歩むことを教えました。ヨシャパテ王の治世の間、
神様は南ユダ王国を平穏に守られました。神様は神様を愛するものを愛してくださいます。
しかしながらヨシャパテ王が神様のみこころを求めないで決めてしまう事柄が
ひとつありました。それは北イスラエル王国との同盟です。
父アサ王の時代に北イスラエル王国のバシャ王に攻め込まれたことがありました。
それを教訓にしたことでしょうか。それともイスラエル民族はひとつである
という信念に基づくことでしょうか。最初、アハブ王と縁を結びます(U歴代誌18:1)。
長男ヨラムの妻にアハブ王の娘アタルヤを迎えるのです(U歴代誌21:6)。
そのアハブ王とはラモテ・ギルアデの戦いにともに参戦するという願わない戦争を
経験することになったことはすでに見たとおりです。次にアハブ王の息子アハズヤ王と
同盟を結びます(U歴代誌20:35)。それはタルシシュへ行く船団をつくるためでしたが、
みこころにそむくことであったので船団は難破します(U歴代誌20:36,37)。
さらにアハズヤ王の弟のヨラム王と同盟を結び(U列王記3:7)、
先にみたモアブ成敗に出かけてまたもや無益な戦いをすることになります。
ヨシャパテ王は神様に拠り頼んださいわいな王様でしたが、
同族北イスラエル王国との同盟については当然のこととして
みこころを尋ねなかったようです。最も恐ろしい結果を招くことになるのは、
縁を結んだことでした。ヨシャパテ王の時代には問題は起こりませんが、
次のヨタム王の時代になると、まずヨタム王は、ヨシャパテの子ども、
つまり自分の兄弟をひとり残らず殺してしまいます(U歴代誌21:4)。
妻アタルヤの影響でバアル礼拝を持ち込みます(U歴代誌21:11)。
ヨラム王が主に打たれて病死すると息子アハズヤが王位に就きますが、
母アタルヤが院政を行ない(U歴代誌22:3)、ますます混乱に拍車がかかります。
アハズヤ王が神様のみこころによって北イスラエル王国の将軍エフーに殺される
(U歴代誌22:7)と、母アタルヤ自身が王位に就き、ユダ王家の属するものを
ことごとく殺してしまいます(U歴代誌22:10)。
ついにアタルヤ自身が殺されてしまいます(U歴代誌22:15)。
この混乱のそもそもの原因はヨシャパテ王の同族北イスラエル王国に対する
考え方にありました。確かに同じイスラエル民族ではありましたが、
北イスラエル王国は金の子牛をつくってイスラエルの神様として拝み、
アハブ王の妻イゼベルが持ち込んだバアルを礼拝する国民でした。
神様はこれを憎んでいましたが、ただ同族というだけで、
神様のみこころを求めなかったヨシャパテ王の姿勢は、
後に大きな禍根を残すことになったわけです。
現在カトリックとプロテスタントが共同で翻訳したという
「共同訳」という聖書が出版されています。同じクリスチャンであるということで
歩み寄ろうということですが、今の妥協は後に災いを招く結果になることを
危惧しないわけにはいきません。