今回は南ユダ王国第16代ヨシヤ王のことから、滅びと救いについて考えてみたいと思います。
おそらく日本のクリスチャンホームの男の子の名前で最も多い名前のひとつは
「ヨシヤ」だと思います。聖書の登場人物で、よい人、
そして日本人の名前として違和感がない名前、ということではないかと思います。
そして「ヨシ」には神の義を現わす「義」が当てられます。
ちなみに女の子は「愛」「恵み」が多いように思われます。
確かに「ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、
力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、主に立ち返った王は、
彼の先にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、ひとりも起こらなかった。」
(U列王記23:25)と評価されたすばらしい王様でした。
ヨシヤ王が即位したときには、ヒゼキヤ王が亡くなってから57年が過ぎていました。
この間の二人の王様マナセとアモンは、たいへん悪い王様でした。そのため、
ユダ王国には再び偶像礼拝がはびこっていました(U列王記21章、U歴代誌33章)。
わずか8歳で即位したヨシヤでしたが、
「第八年(16歳)に、彼はまだ若かったが、
その先祖ダビデの神に求め始め、第十二年(20歳)に、ユダとエルサレムをきよめ始めて、高き所、アシェラ像、刻んだ像、および、鋳物の像を除いた。」(U歴代誌34:3)
と改革を進めます。
そしてその治世の第18年(26歳)のとき、主の宮の修理に着手します(U歴代誌34:8)。
このとき偉大な発見がありました。祭司ヒルキヤが
「モーセを通して示された主の律法の書を発見した」
(34:14)のです。
これまで律法の書はどのように扱われていたのでしょうか。律法自体には
「王国の王座に着くようになったなら、
レビ人の祭司たちの前のものから、自分のために、このみおしえを書き写して、
自分の手もとに置き、一生の間、これを読まなければならない。」
(申命記17:18,19)とあります。これを実行した王様はいたでしょうか。
聖書に記述がありませんから、ひとりもいなかったのではないでしょうか。
とはいえさすがに神の民です。律法の書がダビデ以来折々に登場してきます
(T列王記2:3、14:6、T歴代誌16:40)。けれどもヨシヤ王以前の最後の記述は、
第4代ヨシャパテ王のときなのです。
「主の律法の書を携えて行き、
ユダのすべての町々を巡回して、民の間で教えた。」(U歴代誌17:9)
という記事です。実に250年間の空白があるのです。それが主の宮で見つかったのです。
私たちの聖書もけっしてこのようであってはいけませんね。
書き写すまでしなくても毎日読むならさいわいです。よい王様でも晩年、
高ぶって失敗している例を見ますが、律法の書を読んでいれば
けっしてそんな失敗はしなかったでしょう。
さて「律法のことばを聞いた」
(U歴代誌34:19)ヨシヤ王は、改めてイスラエルとユダが、
律法の書に記されているように行わなかったために
神様の激しい憤りを引き起こしていることを知ります(34:21)。
そして神様のみこころを求めますが、「わたしは、
この場所とその住民の上にわざわいをもたらす。
彼らがユダの王の前で読み上げた書物にしるされているすべてののろいをもたらす。」
(34:24)と滅びは免れられないことを告げられます。
しかしヨシヤ王は神様の御前にへりくだって泣いたので、
ユダとエルサレムにわざわいが下る前に死をもって取り去られ、
わざわいに会わないことを約束されます(34:27,28)。
イエス様は、「この天地は滅び去ります。
しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」
(マタイ24:35)とお話になりました。今のこの世界も罪の結果、滅びが宣告されております。
ヨシヤ王は律法の書(契約の書)を主の宮で
「ユダのすべての人、エルサレムの住民、祭司とレビ人、
および、上の者も下の者も、すべての民・・・に読み聞かせ」
(U列王記23:2、U歴代誌34:30)ます。そして
「イスラエル人の全地から、
忌みきらうべきものを除き去り」(34:33)ます。
それはヨシヤ王が治めるエルサレムとユダの町々(U列王記23:4〜14)ばかりでなく、
北イスラエル王国のあった地にまで及びます(23:15〜20)。
べテル(23:15)とサマリヤ(23:19)にあった偶像礼拝にかかわるものを処分してしまいます。
このベテルでのことです。ヨシヤ王が向き直ると、
山の中に偶像の祭司たちの墓があるのが見えました。その墓から骨を取り出させ、
ベテルの祭壇の上で焼却しました。不思議なことにこの町の人たちは
このようなことが起きることを知っていました。それはその近くにあった墓碑に
ヨシヤ王がつい今しがた行ったことが、書かれていたからでした。
その墓にはそのことを預言した神の人が埋葬されていました(23:16,17)。
かつてソロモンの息子レハベアムが王であったとき、その家来ヤロブアムが謀反を起こし
、そのときから王国は南北に分かれました。ヤロブアムは、
人々が引き続き神様を礼拝するためにエルサレムに行くならば、
建国したばかりのヤロブアムの国家は崩壊してしまうと考え、
これを阻止するため金の子牛を作り、ベテルとダンに据え、
ベテルに作った祭壇でいけにえをささげていました(T列王記12:26〜33)。
そんなとき神様によって遣わされた神の人がベテルにやってきて
祭壇に向かって預言します。「祭壇よ。
祭壇よ。主はこう仰せられる。『見よ。ひとりの男の子がダビデの家に生まれる。
その名はヨシヤ
。彼は、おまえの上で香をたく高き所の祭司たちを
いけにえとしておまえの上にささげ、人の骨がおまえの上で焼かれる。』」
(T列王記13:2) このことが実現したのです。驚くのはその実現だけでなく
それを実行するヨシヤ王の名前まで明らかにされていたことです。
それだけにベテルの人々は、南のユダ王国でヨシヤが王になったときから
このことが起きることを予測していたのではないでしょうか。
神様が語ることは必ずそのとおりになります。
「この天地は滅び去ります。しかし、わたし
(イエス様)のことばは
決して滅びることがありません。」(マタイ24:35)
「わたしのことばは決して滅びることがありません。」
とはもちろんすべてのイエス様のみことばですが、まずここでは
「天地は滅び去ります。」
ということもぜったいに取り消しのないことであることを承知しなければなりません。
ユダとイスラエルの全地をきよめたヨシヤ王は、続いて民全体に命じます。
「この契約の書にしるされているとおりに、
あなたがたの神、主に、過越のいけにえをささげなさい。」
(U列王記23:21)と。かつてヒゼキヤ王も改革の中心においたのは過越の祭りでした。
「主の例祭」(レビ記23:2)は7つありました。
その中でなぜヒゼキヤ王もヨシヤ王も過越の祭りを行なおうとしたのでしょうか。
直面している問題は、国中から偶像を取り除いたようにマナセ王の時代の罪でした
(U列王記23:26)。それならば「贖罪の日」をまず執り行なうことが
最もふさわしかったのではないでしょうか。しかしそれは
大祭司が幕屋の中で行なう祭りであって、民は一日固唾をのんで贖罪が成立するのを
自分の天幕で待っているだけでした。信仰の復興していないときにあっては、
それは幕屋の中のできごとで終わってしまうかもしれません。
ヒゼキヤ王もヨシヤ王も「民全体に命じた」
(U列王記23:21)とあるように、この過越のいけにえを各家庭でほふることにより、
主によって贖われた民であることを思い起こさせようとしたのではないでしょうか。
本来ならば各家庭で用意するいけにえを、ヨシヤ王はその財産の中から羊三万、
牛三千を拠出しました(U歴代誌35:7)。王のつかさたちも、
レビ人のつかさたちもこれに倣いました。ですからその規模は
たいへん大きなものになりました。
「預言者サムエルの時代からこのかた、
イスラエルでこのような過越のいけにえがささげられたことはなかった。
イスラエルのどの王も、ここでヨシヤが行ない、祭司たちとレビ人、および、
そこにいた全ユダとイスラエル、さらに、エルサレムの住民たちがささげたような
過越のいけにえをささげたことはなかった。」(U歴代誌35:18)
神様をなだめるためにかつてないほどのいけにえがささげられたのです。
ヨシヤ王の第18年にこの一連のことが行なわれました。
これらのヨシヤ王の働きによって、神様は憤りを収め、
ユダとエルサレムを滅ぼすという宣言を撤回してくださったでしょうか。
いいえ、覆ることはありませんでした。
「それにもかかわらず、
マナセが主の怒りを引き起こしたあのいらだたしい行ないのために、
主はユダに向けて燃やされた激しい怒りを静めようとはされなかった。主は仰せられた。
「わたしがイスラエルを移したと同じように、ユダもまた、わたしの前から移す。
わたしが選んだこの町エルサレムも、わたしの名を置く、と言ったこの宮も、
わたしは退ける。」」(U列王記23:26,27)
ヨシヤ王は、神様のみこころにかなった施策を数々行ないました。
@主の宮の修理工事、Aユダとイスラエルから偶像を取り除き、きよめたこと、
B過越の祭りを行なったこと。しかしこれらのすばらしい働きにもかかわらず、
滅びは撤回されませんでした。
「天地は滅び去ります。」(マタイ24:35)
今地球環境を取り戻そうと、多くの試みが行なわれています。
排ガス規制、Co2の排出制限、工場の電力制限、人口の抑制など。
けれどもその努力にもかかわらず必ず天地は滅びるのです。なぜならその原因は、
ヨシヤ王の時代はマナセ王の罪にあったように、人類は、神に背いた罪にあるからです。
人はまた誰もが「死」を経験しなければなりません。
ひとりとして逃れうるものはありません。どんなにすばらしい功績を残した人であっても
必ず肉体の滅びがやってくるのです。なぜでしょうか。やはり皆、
神の前に罪人であるからです。
ヨシヤ王の第31年ということになるでしょうか。エジプトの王パロ・ネコが
アッシリヤの王とともにユーフラテス河畔のカルケミシュで
バビロンと戦うために上って来ました。ネコがユダ王国を通過するときに、
ヨシヤ王は迎撃に出ます。ちょうど武田信玄が上洛をめざして
浜松の北を通過するところを打って出た徳川家康のようです。
家康は三方原の合戦に敗れ浜松城にいのちからがら逃げ込み助かりますが、
ヨシヤ王は矢に倒れ戦死します。(U列王記23:29,30、U歴代誌35:20〜24)
この後、エホアハズ、エホヤキム、エホヤキン、そしてゼデキヤとめまぐるしく王様が、
エジプトやバビロンの力によって代えられていき、ついにBC586、
ユダ王国はバビロンの王ネブカデネザルによって滅ぼされます。
最後の王ゼデキヤがバビロンの軍隊に捕らえられたとき、
ゼデキヤの目の前でその子どもたちは虐殺され、ゼデキヤ自身もその両目をえぐり出され、
足かせにつながれてバビロンに連れて行かれます(U列王記25:1〜7)。
ゼデキヤは生きている間いつも、その目が最後に見た、
子どもたちの虐殺される光景にさいなまれたことでしょう。
律法の書の記述を聞いて主の前にへりくだり泣いたヨシヤ王に対して、
神様はかつて、「わたしは、
あなたを先祖たちのもとに集めよう。あなたは安らかに自分の墓に集められる。
それで、あなたは自分の目で、わたしがこの場所にもたらすすべてのわざわいを
見ることがない。」(U列王記22:20)とおっしゃいました。
ヨシヤ王は滅亡のときのこのゼデキヤ王の苦しみを経験しないで、
死によってわざわいの起きる前に滅亡の舞台から退場することができました。
死よりも大きな苦しみがあります。
その苦しみから神様によって用意された方法で救われたのです。
世界は確実に滅亡に向かって突き進んでいます。それを止めることはできません。
しかしそこから救われることはできます。
それはただ神様によって用意された方法によってのみ可能です。
滅びに向かう原因になったのは、神様に背いた人の罪です。その罪を贖い、
神様との和解をもたらすために、神様によって備えられたのが、イエス様の十字架です。
神の御子イエス様が私たちの罪を負って十字架の上で神様からのさばきを
一身に受けてくださいました。このことを信じるとき、
わざわいから救い出されることができるのです。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、
あなたも・・・救われます。」(使徒の働き16:31)
ヨシヤ王のように神様の御前にへりくだり、
自らの進んでいる道を知っていただきたいのです。
マナセ王の罪によって、ヨシヤ王の時代には滅亡が宣告されていました。
ヨシヤ王がどんなにすばらしい改革をしてもそれによって
滅亡は取り消されることはありませんでした(U列王記22:17、23:26)。
ただ神様が用意してくださったその時代からの退場によって、
わざわいから逃れることができました。
ノアの時代も、地上に人の悪が増大したとき、神様は「大洪水」によって
地上のすべての生き物を死に絶やすことに致しました。
ただ神様のみこころにかなっていたノアとその家族だけが助け出されましたが、
全世界は水によって滅亡しました。(創世記6、7章)
ソドムとゴモラの罪は極めて重く、その叫びは神様のもとに届き、
これを滅ぼすと神様は決められます。アブラハムのとりなしにより、
甥のロトとその家族に救いの道が示されますが、
ソドムとゴモラは硫黄の火によって滅亡します。(創世記18:16〜19:29)
神様が用意してくださった方法によらなければ救われません。
私たち罪人には、自らを救い出す力はないのです。
「この方以外には、だれによっても救いはありません。
世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、
人間に与えられていないからです。」(使徒の働き4:12)