「ダビデの将軍ヨアブ」のことを一緒に考えたいと思います。
将軍ヨアブの名前はたくさん出てきますけれども、あまり取り上げることのない人です。
たびたびダビデが誤った判断をしても、ヨアブは毅然と正しい判断をくだして
行動しているように思える場面があるように思います。しかしながら、
「ツェルヤの子(ヨアブ)らであるこれらの人々は、
私にとっては手ごわすぎる。」(Uサムエル3:39)と必ずしもダビデに歓迎されていないのです。
どうしてだろうか、と考えるわけですが、ヨアブの人物と生涯を追って、
その理由を知りたいと思います。
ヨアブはダビデの甥にあたります。
「七男ダビデ・・・。彼らの姉妹はツェルヤ・・・であり、
ツェルヤの子は、アブシャイ、ヨアブ、アサエルの三人であった。」
(T歴代誌2:15,16) 世代からいってダビデのたぶんお姉さんの子でしょう。
Uサムエル記の最後にはダビデの生涯を総括するような記事がありますが、
そのひとつとして、ダビデの勇士たち37人の名が記されています(23:8〜39)。
その中にはウリヤの名もあります(23:39)。そしてヨアブの兄弟アビシャイ(23:18)と
アサエル(23:24)の名があります。けれどもヨアブの名はないのです。
将軍は別格だった、と考えることもできるかもしれませんが、
そのような理由ではないように思われます。
まずいつ頃からダビデに仕えるようになったのでしょうか。
兄弟アビシャイは、ダビデがサウル王から逃亡していたときから仕えていたようです。
幕営に中で寝ているサウル王の枕もとにある槍と水差しを持ってきたとき、
ダビデに同行しています(Tサムエル26章)。
その後サウル王とヨナタンが戦死します(Tサムエル31章)。
そこでユダ(仮に南イスラエル)の人々はダビデを王として油を注ぎ、
イスラエル(仮に北イスラエル)の人々はサウルの子イシュ・ボシェテを王とします。
そしてしばらく南北対立の時代になりますが、ギブオンの戦いで初めてヨアブが登場します。
すでにこのときヨアブは若い者を率いていますし
敵のサウルの将軍であったアブネルにもその名が知られていました。
この戦いのとき、ヨアブの兄弟アサエルがアブネルに殺されます。
アブネルの注意にもかかわらず、アサエルは若かったのでしょう。
長所はまた欠点にもなります。自慢の足でアブネルを追うことを止めず、
そしてアブネルの槍の一突きで死んでしまいます。ヨアブとアビシャイは
アブネルを太陽が沈むまで追いますが、アブネルの呼びかけに応じて、
このときは兵をまとめます。けれどもヨアブはけっして兄弟アサエルが、
アブネルによって殺されたことを忘れませんでした。(Uサムエル2章)
サウルの将軍であったアブネルは、
「主がダビデに誓われた」(3:9)こと、
すなわち「サウルの家から王位を移し、
ダビデの王座を、ダンからベエル・シェバに至るイスラエルとユダの上に
堅く立てるということを」(3:10)よく知っていました。
あるときサウルの子の王イシュ・ボシェテに罪を責められたとき、アブネルは、
今こそダビデに政権を平和裏に委譲するときと、ダビデに使者を送ります。
そしてダビデと契約を結び、イスラエルの長老たちや
サウル王の出身部族のベニヤミン人と話し合った上で、ダビデのもとにやってきます。
もちろんダビデはこれを歓迎しアブネルとその部下のために祝宴を張ります(3:12〜21)。
けれどもこのときヨアブは略奪に出ていて一連の事を知りませんでした。
戻ってきてこのことを聞いたとき、それはアブネルの策略だ、とダビデにつめより、
そして使者を遣わしてアブネルを呼び戻し、
自ら「彼とひそかに話すと見せかけて、
・・・下腹を突いて死なせ、自分の兄弟アサエルの血に報い」(3:27)るのです。
ダビデの説明を冷静に聞くこともしないで、アブネルを追ったのは、
聖書が説明しているように、アサエルのことがヨアブを強く支配していたからでしょう。
私怨が優先しました。
ダビデもヨアブを治めきれませんでした。冒頭のことばはこのときのものです。
「ツェルヤの子(ヨアブ)らであるこれらの人々は、
私にとっては手ごわすぎる。」(Uサムエル3:39)
こうして、ダビデは全イスラエルの王となります(5:3)。
続いてダビデは当時エブスといっていたエブス人の地、エルサレムを攻め、
シオンの要害を落とします。この要害をダビデは住まいとします。
そのためダビデの町と呼ばれるようになります。このときダビデが、
「だれでも真先にエブス人を打つ者をかしらとし、
つかさとしよう。」と言います。そしてヨアブが真先に上って行ったので、
彼がかしらとなりました(T歴代誌11:6)。
「ヨアブは軍団長」(8:16)になりました。
この間、さらにダビデは、西のペリシテ、東のモアブ、北のアラム、
南のエドムを屈服させ、また征服し、王国は確立してまいります。(8:1〜14)
この後、東のアモン人(アラムとモアブの間)との戦いが起こります(10〜12章)。
これまでダビデが先頭に立って戦っていましたが、
このときはヨアブがイスラエルの全軍を率います(10:7、11:1)。
ヨアブは野戦も巧みでしたし(10:8〜14)、城攻めも巧みであったようです(12:26)。
この城壁の町ラバを攻めているとき、ダビデはヨアブに
「ウリヤを激戦の真正面に出し、
彼を残してあなたがたは退き、彼が打たれて死ぬようにせよ。」(11:15)
と指示します。ヨアブはその趣旨を確かめることもなく、
その命に従う冷酷さを持っていました。また町を攻め落としたとき、
ダビデの出陣を求め、ダビデ自身が攻め落としたように、
主君に栄誉を譲る狡猾さをも持っていました。
ダビデの家庭の中に起こった事件にヨアブは巻き込まれていきます。
初め長男アムノンが異母妹のタマルをはずかしめます(13:1〜22)。
すると3男でタマルと母が同じアブシャロムが2年越しで、
アムノンを殺します(13:23〜29)。そしてゲシュムに逃げ3年が過ぎます(13:38)。
ダビデはアブシャロムに敵意をいだき、放置します(13:39、14:1)。
これはけっしてよいことではありませんから、
ヨアブはダビデとアブシャロムが和解できるよう、ひとりの知恵のある女に託し、
かつて預言者ナタンがダビデのあやまちを指摘したように、
たとえ話を持ってそのあやまちを指摘し、アブシャロムを
エルサレムに連れ戻すことに成功します。けれどもダビデはアブシャロムを赦していません。
エルサレムには戻ることを許しましたが、面会は許しませんでした(14:1〜24)。
そしてさらに2年が過ぎたとき、アブシャロムはヨアブに対して
無理やりダビデとの面会を設定させます。ダビデはアブシャロムに口づけをして、
形の上では和解が実現します(14:28〜33)。けれどもこのときたぶんアブシャロムは
ダビデから王位継承はできないと理解したと思います。
ですからこのあと自ら王位を狙っての準備に入り、そして4年後、ヘブロンへ行き、
謀反を起こします。アブシャロムの準備が功を奏したのか、
この謀反は根強くアブシャロムにくみする民が多くなります(15:1〜12)。
ダビデはこれを聞いて、エルサレムから落ちることにします(15:13)。
替わってアブシャロムがエルサレムに入ります(15:37)。
ダビデの逃亡はヨルダン川を渡りエルサレムから
直線距離にして80kmくらいのマハナイムにまでやってきます(17:22、24)。
アブシャロムもダビデを追ってヨルダン川をわたり、
ギルアデの地に陣を敷きます(17:24、26)。
ダビデは民を3隊に分け、それぞれヨアブとアビシャイとイタイの指揮下に配置します。
そして「私に免じて、
若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ。」(18:5)と命じます。
「その日・・・2万人が倒れた」(18:7)
とありますから、かなりの人数が参戦した内戦であったことが伺われます。
「戦いはエフライムの森で行われ」(18:6)ました。
アブシャロムも参戦していました。
「アブシャロムは騾馬に乗っていたが、
騾馬が大きな樫の木の茂った枝の下を通ったとき、アブシャロムの頭が樫の木に引っ掛かり、
彼は宙づりになった。・・・ひとりの男がそれを見て、ヨアブに告げ」
(18:9、10)ます。するとダビデの命令があったにもかかわらず、
ヨアブはすぐさま「まだ樫の木の真中に引っ掛かったまま生きていたアブシャロムの心臓を突き通し」(18:14)ます。
アブシャロムの死はダビデに報告されます。ダビデは泣いて言い続けます。
「わが子アブシャロム。わが子よ。
わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。
アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」(18:33)
ダビデの命令があったにもかかわらず、禍根を取り除くため、
ヨアブは自らの判断で、アブシャロムを殺してしまいます。
ダビデは息子アブシャロムが戦いで死んだことを嘆いて、
戦後処理をおろそかにしていました。ヨアブは将軍として、
いのちをかけて戦った多くの民を思い、論功行賞を行わなければならないと
ダビデに詰め寄ります。アブシャロムひとりの命と、
いのちをかけて戦ったイスラエルの民の命とどちらが重いか、と。
民の頂点に立つダビデは、当然ヨアブの指摘したように、行うべきでした。
ヨアブの進言で初めてダビデは、門のところに座って、論功行賞を行いました(19:1〜8)。
けれどもダビデは、息子アブシャロムを殺したヨアブを
赦すことができなかったのでしょう。ヨアブを将軍から退け、
代わってアブシャロムの将軍であったアマサにダビデの将軍になるよう要請します。
アマサは、ダビデの姉妹ナハシュの孫にあたります。ヨアブにとっても
おばの孫ということになります。(19:13、17:25)。
ダビデは、エルサレムの自分の王宮に戻ります(20:3)。
続いてシェバの反乱が起こります。ユダ(南イスラエル)はダビデにつき従っていましたが、
イスラエル(北イスラエル)はシェバに従います(20:1,2)。
ダビデは将軍アマサに指令を出しますが、アマサは召集をかけるのに手間取ります。
そのためダビデはヨアブの兄弟アビシャイにシェバ討伐を指示します。
その追撃軍に将軍アマサがやってきます。すると元将軍となっているヨアブが、
挨拶すると見せかけて、アマサの下腹を剣で指して殺してしまいます(20:4〜10)。
その上で、ヨアブはシェバを追い討伐します(20:10〜22)。再び
「ヨアブはイスラエルの全軍の長」(20:23)
ということになります。ヨアブは自分の身分を脅かすものを葬り去りました。
この二つの反乱はダビデの求心力の低下を物語るものでしょう。
あるとき、ダビデ「王は側近の軍隊の長ヨアブに言った。
「さあ、ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルの全部族の間を行き巡り
、その民を登録し、私に、民の数を知らせなさい。」すると、ヨアブは王に言った。
「・・・王さまは、なぜ、このようなことを望まれるのですか。」」(24:2,3)
しかし、「ダビデは、民を数えて後、
良心のとがめを感じた。」(24:10) とあるように、民を数えることは
、神様のみこころに背くことでした。神様がその御民を導かれるのに、
ダビデは自分の勢力を誇る欲望に駆られたのではないかと思います。
ダビデは気がついて悔い改めます。ヨアブは命令に対し、
イスラエルの神を知るものとして、疑問に感じたことと思います。
「ダビデ王は年を重ねて老人になっていた。」
(T列王記1:1) 後継者が問題になります。ダビデの長男アムノンも
3男アブシャロムも死にました。2男キルアブは一切出てきませんので、
器でないか、欲がなかったのでしょう。
するとその次は4男アドニヤということになりますが、
まだダビデは何も後継者について公けには語っていなかったようです。
ただソロモンといううわさはあったのではないかと思います。
あるとき「アドニヤは、
「私が王になろう。」と言って、野心をいだき」(1:5)
「ヨアブ・・・に相談をしたので、・・・(ヨアブ)
はアドニヤを支持するようにな」(1:7)ります。
しかしながらダビデはソロモンを王として任命し(1:35)、油をそそぐのです(1:39)。
「ダビデの死ぬ日が近づいたとき、
彼は息子のソロモンに次のように言いつけた。」(2:1)
その中でヨアブについて指示します。
「あなたはツェルヤの子ヨアブが私にしたこと、
すなわち、彼がイスラエルのふたりの将軍、
ネルの子アブネルとエテルの子アマサとにしたことを知っている。
彼は彼らを虐殺し、平和な時に、戦いの血を流し、
自分の腰の帯と足のくつに戦いの血をつけたのだ。
・・・彼のしらが頭を安らかによみに下らせてはならない。」(2:5,6)
ヨアブを殺せ、というわけです。
まもなく「ダビデは彼の先祖たちとともに眠り、
ダビデの町に葬られ」(2:10)ます。
「ソロモン王は、
エホヤダの子ベナヤを遣わしてアドニヤを打ち取らせたので、彼は死んだ。」
(2:25) また「エホヤダの子ベナヤは上って行って、
彼(ヨアブ)を打ち取った。」(2:34) 王位を狙ったアドニヤ、
そして読みを誤りましたが、アドニヤのもと引き続き将軍であることを狙ったヨアブ、
ともに死にました。
ダビデがソロモンにヨアブを殺すよう指示したとき、
その理由に二人のイスラエルの将軍を殺したことを上げています。
けれどもダビデが最も嘆いたのはアブシャロムが死んだときでした。
息子アブシャロムもヨアブによって殺されたのですが、それを第1の理由にするどころか、
アブシャロムのことについては触れていないのです。
ヨアブは多くの血を流しました。ダビデもまた多くの血を流しました。
けれども無用な血をダビデは流すことはありませんでした。
ダビデはアブシャロムの死を激しく嘆きましたが、
そのことではヨアブをさばきませんでした。けれどもヨアブは、
弟アサエルがアブネルに殺されたことを根に持って、
ダビデに政権を平和裏に委譲しようとしたアブネルを殺してしまいました。
ダビデは自分の王位を奪おうとするアブシャロムから
エルサレムの民を守るため町から逃げ出しました。
けれどもヨアブは自分に代わって将軍に任命されたアマサを殺してしまうのです。
ダビデは私怨によってヨアブをさばくことをしませんでした。
ヨアブは頭の回転が速く行動力もありました。
神様が約束された王位を除けばナンバーワンの立場にまでなりました。
それを守るため、非情でした。政治家や高度成長期の企業戦士など、
形を変えて多くの人にその姿を見ることが出来ると思います。
ダビデはそのヨアブの生涯の途中でそれについて問うことをしませんでした。
けれどもダビデは自らの生涯の最後に、ヨアブの罪をさばくことを指示しました。
神様は罪を犯したものをすぐさばくことを致しません。その生涯を終えたとき、
神様のさばきが待っています。
ダビデが民を数えて罪を犯したとき、
神様はダビデに神のさばきを3つのことからひとつを選ぶように言われました。
ダビデは「主の手に陥ることにしましょう。
主はあわれみ深いからです。」(Uサムエル24:14)と選択しました。
ヨアブのように生きるのではなく、神様のあわれみをいただいて、
神様とともに生きる人生は、いつも心に平安があるものです。
このような人生を選択されるようお勧めします。