「するとそこに、ヤイロという人が来た。この人は会堂管理者であった。
彼はイエスの足もとにひれ伏して自分の家に来ていただきたいと願った。」(ルカ八・四一)
一.主イエス様を知る
ヤイロはこのときまでにイエス様をよく知っていたようです。
それには二つの恵まれた背景がありました。ひとつはイエス様が「帰られ」(八・四〇)た、
すなわち活動の拠点とされたカペナウムの地方の人であったこと、
もうひとつは「会堂管理者であった」(八・四一)ことです。
@会堂
イエス様の時代には旧約聖書にはなかった会堂が登場します。ヤイロはその管理者でした。
イエス様も会堂を利用されますが、会堂とはどのようなところだったのでしょうか。
律法の書は、まず祭司のもの(申命記一七・一八)であり、王のもの(一七・一九)ともなるべきでした。
けれども民衆のもの(U歴代誌一七・九)にはなりませんでした。
このことが神様から遠ざかり、偶像礼拝、そして滅亡への道を下る原因となりました。
バビロン捕囚から帰還するとまずエルサレムに神殿が再建され礼拝の場が整えられますが、
それとともにユダヤの町々に会堂が建てられていきます。それは過去の反省に立って、
民衆が聖書に親しむことができるように、ということだったでしょう。
そのためイエス様の時代にはローマの支配下にありながらも、
信仰においては自立を保っていました(ルカ七・五)。
使徒たちの時代にはアジアのユダヤ人が移住していった地(サラミス(使徒一三:五)、
アンテオケ(一三・一四)、イコニオム(一四・一)、ペレア(一七・一〇))においても
ユダヤ人の会堂として設けられています。聖書に親しむことは、私たちが主の祝福のうちに留まるために
最も大切なことのひとつです。(Uテモテ三・一五)
イエス様の時代にも会堂ではまず安息日に聖書が読まれ説き明かされていました。
おそらく律法学者、パリサイ人たちがその指導的役割を担っていたのでしょうが、
会堂管理者が認めれば誰でも話すことができたようです(使徒一三・一五)。
ですから初期のイエス様も使徒たちもよくこの会堂を利用することができました。
教えの他、会堂では祈り、施しが行なわれていました(マタイ六・二、五)。
ユダヤ人であれば誰でもそこに集うことができました。ですから汚れた悪霊につかれた人
(ルカ四・三三)も右手のなえた人(ルカ六:六)もいました。
Aガリラヤ地方カペナウム
荒野の試みの後、ヨハネが捕えられたと聞いてイエス様は、ナザレに行き、
それからカペナウムに住まわれました(マタイ四・十三)。
イエス様は当初、ガリラヤ地方のわずか三十〜四十キロメートル四方の範囲に限って活動されました。
イザヤ書のみことばから約束されたメシアであると宣言なさったナザレの会堂(ルカ四・一六)、
カペナウムの会堂(四・三一)、その他のガリラヤの諸会堂(四・四四)でお話をなさいました。
またらい病人のいやし(五・一三)、カペナウムでの中風の人のいやし(五・二五)、
会堂にいた右手のなえた人のいやし(六・十)、カペナウムでの百人隊長のしもべのいやし(七・十)、
ナインのやもめの息子をよみがえらせたこと(七・一五)など多くのいやしがこの地で行なわれました。
これらのいやしのほかにも不思議なみわざをイエス様は行なっていました。
イエス様がガリラヤ湖の対岸のゲラサ地方から戻ってきたところへすぐ現われたことから、
ヤイロはカペナウムかごく近くの町の会堂管理者と考えていいのではないでしょうか。
ヤイロはイエス様の話を聞き、いやしが目の前で行なわれるのを何度も見ていたことでしょう。
Bイエス様と、律法学者・パリサイ人たち
イエス様がカペナウムの会堂で教えたとき、律法学者たちのようにではなく権威ある者のように
教えられたので人々は驚きました(マルコ一・二一、二二、ルカ四・三一)。
悪霊もまたイエス様の権威あることばに従いました(ルカ四・三六)。
律法学者は神様について語ったことでしょう。イエス様が神様の創造のみわざについて語るとき、
それはご自身がご自分のために創られたものでした(コロサイ一・一六、一七)。
モーセの十戒について律法学者は説いたでしょう。特に安息日についてはしばしばイエス様との間で
争点となりました。彼らは「人間の教えを、教えとして教えるだけ」(マタイ十五:九)にすぎませんでした。
けれどもイエス様は律法の精神に戻って教える御方でした(ルカ六・六、九)。
イエス様の教えは研究して明らかになったことでもなく、誰かの教えを借りてきたものでもなく、
神であって人となられたイエス様ご自身のものでした。ですから権威がありました。
二.主イエス様と自分を結び付けたヤイロ
このようにヤイロはイエス様がことばにもわざにも力がある御方であることをよく知ることができました。
ですから地域の人々のためにイエス様が、ヤイロが管理する会堂を活用することをよいことと
思っていたに違いありません。けれどもヤイロ自身のためにイエス様が必要な方、
礼拝すべき御方であるとは考えてもみませんでした。
@ 娘の急病
ヤイロの「十二歳くらいになるひとり娘」(八・四二)が死にかけていました。
ヤイロは娘の病気により窮地に立って初めて、遅ればせながらイエス様と自分とを結びつけて考え、
イエス様が自分にとってどうしても必要な御方であることに気づきます。
そしてイエス様の御前にへりくだります。ヤイロはイエス様をその心に迎えました。
このときがイエス様との出会いのときです。
自分のためには変わることがなくても、愛する者のためには変わることができるものなのでしょうか。
私たちも、イエス様を愛するならば、いつでもイエス様の御栄光のために変わることができる
(ローマ一二・二)、他の人を愛するならその人の益のために変わることができる、ということでしょう。
サウロと名のっていたときのパウロはガマリエル門下で学んだ律法にたいへん明るいパリサイ人でした。
クリスチャンを見つけては迫害する熱意はありましたが、律法を正しく理解し自分のものとしていませんでした。
ダマスコへの途上でイエス様にお会いしてエルサレムに上るまでの三年間(ガラテヤ一・一八)、
イエス様と個人的に交わり、自らの肉を否定してイエス様を全面的に受け入れたとき、生き方が変わりました。
イエス様を知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思うようになりました(ピリピ三・八)。
それからエルサレムに上ります。ペテロを初めとする兄弟たちが受け入れてくれる保証はありませんでしたが、
パウロの一歩が始まります。
A 行動
ヤイロはイエス様をよく知っていました。パウロも律法をよく知っていました。
けれどもそれが生かされたのは心底からイエス様を受け入れ、自らを否定したときでした。
ヤイロはイエス様を求めてカペナウムの町に出て行きました。
三.主イエス様への信頼
@ お出かけになったイエス様
イエス様はヤイロの要請に応えて出かけられます。すると群集がみもとに押し迫ってまいります。
その中に十二年間長血をわずらっていた女がいて、彼女のことで立ち止まり時間を費やすことになります。
このときヤイロはどんな気持ちだったでしょうか。イライラしていたでしょうか。やきもきしていたでしょうか。
おそらくイエス様が来てくれることになったからにはすでに娘は直ったものと確信していたと思います。
ですから多少の時間がかかっても、ヤイロはその長血の女に心から同情し、
ともにそのいやしを喜べたのではないかと思います。
ここに、ともに主イエス様の恵みにあずかった者のさいわいな交わりがあります。
ヤイロのイエス様に対する信頼は確固としたものでした。
Aともにいるイエス様
そこへ家から「お嬢さんはなくなりました」という知らせが届きます。ヤイロはどう思ったでしょうか。
動揺がなかったとは言い切れないかもしれません。ただそのときすぐイエス様が「ただ信じなさい。娘は直るのです。」
と言ってくださいました。ラザロが死んだとき「絶望」が姉妹たちを襲いました。
マルタはイエス様に「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」
(ヨハネ十一・二一)と言っています。イエス様がいなかったら「絶望」がヤイロを襲ったことでしょう。
しかしここにはイエス様がおられました。
イエス様は私たちとともに歩んでくださっています。
けれどもエマオの途上の二人は初めそれに気づきませんでした。
それは私たちの認識にかかわっているようです。
イエス様がともに歩んでいるなら、どんな状況にあっても失望は希望に変わります。
アブラハムは「神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。」
(ヘブル十一・十九) ヤイロはそれほど明確には考えていなかったこととは思いますが、
どんな展開になろうと受け入れられるという、イエス様がともにおられることからくる
不思議な平安があったと思います。
どうしてヤイロはここまでイエス様に信頼することができたと考えることができるでしょうか。
それはヤイロがイエス様をはっきりと自分自身のうちに受け入れていたからです。
Bイエス様とともに生きる
ヤイロの娘はよみがえりました。ヤイロも妻も娘も、その家からイエス様が立ち去った後も、
イエス様とともに生きるようになったことでしょう。
四.まとめ
最初、ヤイロは近くでイエス様の伝道やいやしを見て知的にイエス様をよく知る恵みにあずかりました。
けれどもイエス様との間には一定の距離がありました。
娘の急病という思いがけないできごとに遭遇して、イエス様と自分とを関連付けて考え、
へりくだり、それまでのイエス様についての知識が、初めて生きて働くものとなりました。
そしてイエス様がともに歩いてくださって、かつて経験したことのない平安を知りました。
それは娘のよみがえりによって確かなものであると実証されました。
「主は何をあなたに求めておられるのか。それは、・・・へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」(ミカ六・八)