ソロモンが王になって最初に行なった事業が、着位4年目に始めた神殿建築でした。
神様のことを第1としたところに、当時のソロモンのさいわいな信仰が見られると思います。
神殿を建築した後、ソロモンは王宮の建築を続けて行います。
「神殿」は言うまでもなく、神様がご臨在なさり、その神様を礼拝するところです。
聖書では、まことの神様は天地万物の創造者であって
どこにでもご臨在なさるお方であると教えられます。
つまり神殿のような限定された空間に閉じ込められようもない御方です。
ソロモンも神殿を建て、完成させたとき、主の祭壇の前に立って、
神様に向かって「それにしても、
神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、
あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、
なおさらのことです。」(T列王記8:27)と告白しています。
ではどうして神様はソロモンが神殿を建てることを喜ばれたのでしょうか?
それはイスラエルの中に住まわれ、礼拝を受けることを喜ばれたからでしょう。
人が創造されたのは、人との交わりから、神様がご自身のみこころを
満たされようとしたからです。これはいつの時代になっても変わらない神様のみこころです。
今神様はイエス様の贖いを喜んで受け入れたものの礼拝を求めておられます。
時間の順序を追ってみてみましょう。そもそもこの神殿を立てる志は
ダビデが抱いたことでした。ダビデ「王が
自分の家に住み、主が周囲の敵から守って、彼(ダビデ)に安息を与えられたとき」
(Uサムエル7:1)、ダビデは主の御名のための宮(神殿)を建てたい、
と願いました。神様はこれをたいへん喜ばれ、ダビデの家を祝福することを
約束してくださいました(Uサムエル7:8〜16)。しかし神様は、
ダビデ自身が主の宮を建てることを許されませんでした。
それは「あなた(ダビデ)は多くの血を流し、
大きな戦いをしてきた。・・・あなたは、
私の前に多くの血を地に流してきたからである。」(T歴代誌22:8)
という理由からでした。そして尊い働きはやがて生まれてくる平和の君ソロモンによって
成し遂げられることが約束されます(T歴代誌22:9,10)。
ダビデはけっして志が許されなかったからといって、
ふてくされるような人ではありませんでした。ダビデはその子ソロモンが
主の宮をりっぱに建てあげることができるように、自分にできることをしようと考え、
そして用意を致しました。
ダビデが用意したものは、金3,400トン、銀34,000トン、
量りきれないほどの青銅、鉄、また木材、石材、あらゆる宝石。
さらに石切工、細工師、各種職工(T歴代誌22:14〜16、29:2〜5)。
それから神殿の仕様書(T歴代誌28:11〜19)も用意していました。
ソロモンは宮殿を建てるのに13年かかります(T列王記7:1)が、
神殿を建てるのにはわずか7年しか必要ではありませんでした(T列王記6:37)。
それはダビデがあらかじめ、必要と思われるものをことごとく用意していたからでしょう。
こうしてエルサレムに神殿を建設することになったのは、
ダビデの信仰によることでした。
ソロモンの神殿の大きさは、長さ約26.4m、巾約8.8m、高さ約13.2m。手前に玄関が、
側面には脇屋が設けられていました。その石は、あらかじめ石切り場で
完全に仕上られた石を使用していましたので、工事中、一切の道具の音は
聞かれませんでした。
内側は2つに仕切られ、手前2/3が本堂で、奥の1/3が内堂(至聖所)となっていました。
みごとなのはその内側、床はもみの木の板、天井と壁は杉の木の板、
内堂の入口はオリーブ材のとびら、本堂の入口はもみの木のとびらであって、
壁ととびらには彫刻が施されていました。そして床から天井にいたるまで
神殿の内側はすべて純金で覆い、内堂におかれたオリーブ材で作られた2体の天使ケルビムも
純金で覆われていました。その大きさは、高さ4.4m、その翼の大きさがそれぞれ2.2mで、
両翼が壁に届いていました。「金」は神様の栄光を現わす色です。
さらに内庭が設けられて神殿は完成しました(T列王記6:1〜36)。
それから、2本の「柱」、2つの「柱頭」、約46キロリットルの容量のある
直径約4.4mの器である「鋳物の海」、車輪のついた一辺約1.8mの「台」10個と
その上に載る約920リットルの容量のある直径約1.8mの「洗盤」10個、
そして「灰つぼ」と「十能」と「鉢」といった神殿の外の備品。これらはみなヒラムという人が
青銅に巧みな細工を施して作ったものでした(T列王記7:13〜47)。
また神殿の中の備品は金で作られました。「祭壇」、「供えのパンを載せる机」、
純金の「燭台」10個。それから「花模様」、「ともしび皿」、「芯切りばさみ」、
「皿」、「芯取りばさみ」、「鉢」、「平皿」、「火皿」、「とびらのちょうつがい」
といった器具も純金で作られました(T列王記7:48〜50)。
すべての神殿の工事が完成し、器具類が納められると、
ソロモン王は「契約の箱」を運び上るため、イスラエルの長老たち、
部族のかしらたち、一族の長たちを召集します。そしていよいよ祭司たちが
「契約に箱」を担って、神殿の内堂である至聖所のケルビムの翼の下に運び入れます。
祭司たちが聖所から出てきたとき、雲が神殿に満ち、主の栄光が神殿に満ちたため、
立って仕えることができませんでした(T列王記8:1〜11)。
神様が神殿の完成をお喜びになったのです。
こうして神殿が完成したとき、ソロモンはイスラエルの民を祝福し、
それから神様に、主の祭壇の前に立って、祈りをささげました(T列王記8:14、22)。
このときのソロモンの祈りの内容は、@今日にいたるまでの感謝(8:22〜26)、
A神様は神殿に制約される御方ではないけれども、この神殿でささげられる祈り、
願いを聞いてほしいこと(8:27〜30)、B人が隣人に対して罪を犯したときや
イスラエルの民が神様に罪を犯したとき、悔改めて祈り求めたら、
応えてほしいこと(8:31〜36)、Cわざわいや病気など悩みのときの祈り、
願いに応えてほしいこと(8:37〜40)、D外国人であっても
主の御名のゆえに祈るなら応えてほしいこと(8:41〜43)、
E国外での戦いのとき、神殿に向かって祈るなら聞いてほしいこと(8:44、45)、
F捕囚の地で神殿に向かって祈るなら聞いてほしいこと(8:46〜53)と
多岐にわたっていました。捕囚のときのことまでも祈っているところを見ると、
まるでイスラエルの歴史のずっと先まで知って祈っているかのようです。
ダニエルはバビロンにあって、すでにない神殿のほう、エルサレムに向かって
日に3度、祈っていました(ダニエル6:10)。そしてもう一度ソロモンは
イスラエルの民を祝福します(8:54〜61)。
それからいけにえがささげられます。実は契約の箱が至聖所に運びこられる前にも
いけにえが契約の箱の前で、数えることも調べることもできないほどの
羊や牛がささげられた(T列王記8:5)とありますが、
このときささげられた和解のいけにえの数は、実に牛2万2千頭、
羊12万頭と記されています。とても祭壇だけでは対応しきれないので、
神殿の前の庭の中央部を聖別して、そこで全焼のいけにえ、穀物のささげ物、
和解のいけにえの脂肪をささげた、とあります
(T列王記8:62〜64、U歴代誌7:4〜7)。
この後、神様はソロモンに現われ仰せられます。神様は
「あなたが、わたしの前で願った祈りと願いを私は聞いた。
わたしは、あなたがわたしの名をとこしえまでも、
ここに置くために建てたこの宮を聖別した。わたしの目とわたしの心は、
いつもそこにある。」(T列王記9:3)と約束されます。
そしてその上でソロモンが主の御前に全き歩みをするならば、
ダビデに約束したように、ソロモンの王国の王座をイスラエルの上に永遠に確立する、
逆にソロモンやその子孫が主のおきてに従わないで偶像に仕えるならば、
イスラエルをその地から断ち、神殿も捨てる、と宣告なさいます(T列王記9:4〜9)。
残念ながらこの後のイスラエルの歴史は後者の道をたどり、340年後、BC586、
バビロン帝国のネブカデネザル王によって、ゼデキヤ王はバビロンに連れていかれ、
神殿は跡形もなく破壊され、神殿の備品や器具はバビロンに運ばれ、
そしてユダの人々はバビロンに捕え移されていくのです(U列王記25:7〜21)。
その後の王たちの時代を追ってみても繁栄があるときには、
時の王が信仰にたって神殿を修理したり(例:ヨアシュ王(U列王記12章)、
ヨシア王(22章)他)、逆に敵襲にさらされているときには、偶像に仕え、
神殿がないがしろにされているのです(アハズ王(16章)、マナセ王(21章)他)。
わたしたちはとかく見える状況に目を留めますが、事の本質は、
神様に対してどのように向き合っているかに関わっていることに気がつくのです。
「ソロモンの神殿」のことをずっと書いてまいりました。
それが破壊されたところまでたどりましたが、
イエス様の時代にエルサレムに神殿があって、イエス様もそこを訪れたり、
神殿のことからお話になったことはご存知でしょう。
実はイエス様の時代にあったのは、「ヘロデの神殿」をいわれるものでした。
ネブカデネザルによってソロモンの神殿が破壊されてから、
70年ほど経ったとき、神様はペルシャの王クロスに
エルサレムの神殿を再建することを命じられます(エズラ1:2,3)。
そしてユダとベニヤミンの人々は捕囚の身から解かれ、帰還します。
このときダビデの子孫にあたるゼルバベルも帰還し、神殿を再建するのです。
BC515のことです。このときの神殿は「ゼルバベルの神殿」と呼ばれます。
そして「ヘロデの神殿」になるのですが、これはゼルバベルの神殿を大改修したものです。
ゼルバベルと違い、ヘロデはダビデの子孫でもなければ、
ユダヤ人でもありませんでした。ローマ皇帝の支援はあっても、
イスラエルの神を信じるユダヤ人を治めることはたいへん難しいことでした。
そこでBC37に即位したヘロデはユダヤ人の歓心を得るため、
BC20に神殿の大改修工事を始めたのです。イエス様が宮きよめをしたとき、
ユダヤ人が「この神殿は建てるのに46年かかりました。
あなたはそれを3日で建てるのですか。」(ヨハネ2:20)と言っていますが、
まさしくそれは、このヘロデの神殿でした。この神殿はたいへんりっぱなものでした。
イエス様の弟子のひとりが「先生。これはまあ、
なんとみごとな石でしょう。なんとすばらしい建物でしょう。」
(マルコ13:1)と言っています。
それに答えてイエス様は「この大きな建物を見ているのですか。
石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
(マルコ13:2)と言われます。事実、ヘロデの神殿はAD64に完成するのですが、
わずかその4年後に、ローマ帝国によって破壊されるのです
ソロモンが神殿を建てたのは、現在のエルサレムの東のはずれ、
四角く城壁に囲まれた、旧市街地と呼ばれるわずか1km2くらいの場所です。
ゼルバベルも同じところに再建しました。実はこの場所は「モリヤの山」
といわれるアブラハムがイサクをささげたところでもあったのです(創世記22:2)。
これらのことから、礼拝とたいへん関わりのある場所であると言えると思います。
現在この地には、イスラムの黄金のドームが建っています。
しかし来たるべきとき、エゼキエルの見た神殿がこの地に建てられるのです
(エゼキエル40〜42章)。
新約聖書を開きますと、教会(集会)時代の今、
集会が「神の神殿」であることが教えられます
(Tコリント3:16,17)。またわたしたちクリスチャンひとりひとりが
「聖霊の宮」であることが教えられます
(Tコリント6:19)。神のご臨在なさる聖いところであって、
神に礼拝をささげるものであることを覚えます。