サムエル


 さて、サムエル記第1から、サムエルのことを書いてみたいと思います。 前に「ナジル人」としてのサムエルについて触れましたが、 今回は「祈りの人であったサムエル」のことを考えてみたいと思います。 後の預言者エレミヤがこのように書いています。 「主は私に仰せられた。 『たといモーセとサムエルがわたしの前に立っても、 わたしはこの民を顧みない。・・・』」(エレミヤ15:1) モーセとサムエルの祈りに力があったことがわかります。

 サムエルの誕生は、「ナジル人」のときにも触れましたが、 母ハンナの祈りが神様に応えられた結果でした。それゆえ彼女はサムエルを、 生涯をささげたナジル人として、乳離れしたときに主の宮に連れて行きます (1:11,26)。そして祭司エリに預けられ、 「少年サムエルは主のみもとで成長し」 (Tサムエル2:21)、「主にも、人にも愛され」 (2:26)ます。

 サムエルが語ることばはすべてそのとおりに実現しました。 それによってまだ若かったときから すでにイスラエル人たちは神様がサムエルを預言者として立てられたことを知ります。 (3:19,20)私たちはメシヤについての預言がすべてイエス様によって実現したこと、 またイエス様が語られたことがそのとおり実現したことを聖書によって知っています。 そしてさらに将来について預言されたこともそのとおりに実現することを確信しています。

 このサムエルがさばきづかさとしてペリシテ人と最初に戦った記事が7章に記されています。 戦ったといっても、剣をとって戦ったのではなく、 サムエルは主に叫ぶ(祈る)ことにより戦いました。サムエルの祈りは聞かれます。 「ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来たが、 主はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、 彼らはイスラエル人に打ち負かされた。」( 7:10)神様が働いてくださいました。この頃イスラエルには王様がいませんでしたが、 こうしてイスラエルは勝利を収めます。 「ペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領内に、 はいって来なかった。サムエルの生きている間、主の手がペリシテ人を防いでいた。」 (7:13)とあります。実際「サムエルが死んだとき」 (28:3)、ペリシテはイスラエルの領内に入ってきます。 そして後に立てられるイスラエルの初代の王様サウルも王子ヨナタンも ペリシテとの戦いで死にます(31:2,4)。サムエルの祈りは力がありました。

 イスラエルの国は言うなれば神政政治の国でした。神様が直接治められておりました。 しかし「アモン人の王ナハシュがあなたがた(イスラエル) に向かって来るのを見たとき、あなたがたの神、主があなたがたの王であるのに、 『いや、王が私たちを治めなければならない。』と私(サムエル)に言った。」 (12:12)とあるように、イスラエル人は王を求めて、 神様を退けるという大きな罪を犯しました。神様はみこころを大いにそこないましたが、 そのことばを受入れ、サウルを王として与えられます(12:17,13)。 そしてサムエルは神様のみこころをこのように説明します。 「まことに主は、ご自分の偉大な御名のために、 ご自分の民を捨て去らない。主はあえて、あなたがたをご自分の民とされるからだ。」 (12:22)神様はかつてイスラエルをご自分の民として選ばれました。 それは決して彼らが優れていたからではりませんでした。けれどももし、 神様がイスラエルが罪を犯したからと言って退けるならば、 なぜそのようなものを神様は選んだのか、とか、それによって退けてしまうような神様なのか、 と神様ご自身の御名が侮られるようなことがあってはなりません。 それゆえ神様はご自分の偉大な御名のためにイスラエルを捨てない、と言われるのです。

 またサムエルは、彼自身の気持ちとしてこのように言っています。 「私もまた、 あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない。」 (12:23) イスラエルが王を求めたことは、神様を退けたことであり、 サムエルを退けたことでもありました。そのイスラエルに対してサムエルは怒ることもなく、 むしろ「あなたがたのために祈り続ける」と言うのです。 この気持ちはどこから来るのでしょうか。それは神様がイスラエルを愛しておられるならば、 自分もまた同じようにイスラエルを愛する、というわけです。もしそうしないならば、 それは神様のみこころに反すること、神様に罪を犯すことだと考えていました。それゆえ、 イスラエルのために祈り続けると言うのです。 この神様との一体感にサムエルの祈りの力の理由があったのでしょう。

 サウル王が立てられてからは、イスラエルの国はサウル王によって守られていたように 見えたかもしれません。しかし実際にそれを支えていたのはサムエルの祈りでした。 「アマレクを聖絶せよ」(15:2,3)との神様からの命令に、サウル王は失敗しました。 主の命令に忠実に聞き従うことをしなかったのです。(15:18,19)。 そのときからサムエルとサウルは会うことがありませんでした(15:35)。 すでに神様はサウル王を見切っていたからです(15:26、16:1)。

 そして神様は、イスラエルのために、みこころにかなった羊飼いの少年ダビデに油を注いで、 次の王であることを、サムエルに明らかにされます。 このダビデは多くの神様からの訓練を経て、サウル王の時代に成長し、その働きが認められて、 サウルの死後イスラエルの王になります(Uサムエル5:1〜3)。 ダビデもサムエルを信頼していました(19:18)。

 サムエルは、サウル王がアマレクを聖絶することに失敗した後は、 ダビデに油を注いだとき(16章)と、ダビデが身を寄せてきたとき (19章)の2回しか登場しません。しかし、先に 「こうしてペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領内に、 はいって来なかった。サムエルの生きている間、主の手がペリシテ人を防いでいた。」 (7:13)と記されていたとおり、サムエルが生きれいる間、サムエルが表舞台にいなくても、 イスラエルはペリシテから守られていました。 誰も見ていないところでサムエルは祈っていたのでしょう。

 そして、先にも記したとおり、 サムエルが死ぬとペリシテが即座にイスラエルに攻め込んできて、 サウル王も王子ヨナタンも戦死してしまいます(28、31章)。 サムエルの祈りは偉大でした。それはとりもなおさず、神様がおられ、 人の世に関心をもって見ておられることの何よりの現われでしょう。

 イエス・キリストも祈りの人でした。「キリストは、 人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、 大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、 そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」 (ヘブル5:7)人の子となられたイエス様について記されているルカの福音者に よく著わされています。

 イエス様によって多くの人が福音を聞き、いやしていただいていました。人々にとってそれは一人一人すばらしいことでしたが、イエス様は祈りのときを大切にされていました。「イエスのうわさは、ますます広まり、多くの人の群れが、話を聞きに、また、病気を直してもらいに集まって来た。しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。」(5:15,16)

 重要なことは祈りの後に行なわれました。 「イエスは祈るために山に行き、 神に祈りながら夜を明かされた。」(6:12)夜明けになって、 12人の弟子が選ばれます。ペテロとヤコブとヨハネは この中でも特別な働きを与えられていきます。 またその中にはイエスさまを裏切ったイスカリオテ・ユダも含まれていました。 祈りの結果、裏切る者が選ばれていたということは、 イエス様が十字架にかかるための展開で必要であったということでしょう。 ただイエス様が最後の晩餐でユダに示された悔改めを促す態度などを見ますと、 それは必ずしもユダでなければならなかったというものではなかったようです。 するとユダは自分の責任において裏切り者の道を選択してしまったことがわかります。

 ペテロがイエスさまを「神のキリストです。」 (9:20)と初めて言い表したのも、祈りの後の出来事でした。 「イエスがひとりで祈っておられたとき、 弟子たちがいっしょにいた。イエスは彼らに尋ねて言われた。 『群衆はわたしのことをだれだと言っていますか。』・・・イエスは、彼らに言われた。 『では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。』ペテロが答えて言った。 『神のキリストです。』」(9:18、20)

 変貌の山の出来事も祈りの後でした。「イエスは、 ペテロとヨハネとヤコブとを連れて、祈るために、山に登られた。祈っておられると、 御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝いた。」(9:28,29) このとき、モーセとエリヤが現われ、ご最期のとき、 すなわち十字架のことについて話し合われました。

 主の祈りを教えるきっかけになったのも祈っていたときでした。 「イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、 弟子のひとりが、イエスに言った。『主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、 私たちにも祈りを教えてください。』」(11:1,2) そして教えられたのがこの祈りです。

 「『父よ。御名があがめられますように。 御国が来ますように。
私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。
私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。私たちを試みに会わせないでください。』」(11:2〜4)

 マタイ伝にはもう少し詳細に書かれています。 これはこのとおり唱えるように求められているのではけっしてありません。 祈りは自分の思いを自由に神様に言い表せばいいのです。でもこの祈りに示されているように、 神様のこと、隣人のこと、そして自分のこと、この原則は大切です。 とかく自分のことばかり人は訴えるものです。

 ペテロのためにイエス様は祈られました。 十字架につく前にペテロをはじめ弟子たちはイエスさまを見捨てて散ってしまいました。 自分たちもイエス様の弟子だということで捕らえられないためでした。 ペテロは「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、 死であろうと、覚悟はできております。」(22:30)と言いますが、 イエス様が言われたとおり鶏が鳴く前に3度、イエス様を「知らない」と言ってしまいます。 砕かれ立ち直ったペテロが集会建設のいしづえになっていきますが、 そのペテロのためにイエス様はこのように言われました。 「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、 あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、 兄弟たちを力づけてやりなさい。」(22:29)

 十字架のときが近くなったとき、イエス様はいつものようにオリーブ山に行かれ、 祈りました。「そしてご自分は、 弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。 『父よ。みこころならば、この杯(十字架)をわたしから取りのけてください。しかし、 わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。』すると、 御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。イエスは、苦しみもだえて、 いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。」(22:41〜44) イエス様は十字架の上ですべての罪人の身代わりとなって、 神様からのさばきを受けることがどれほど厳しいものか、よくご存知でした。 人となり弱さをまとわれたイエス様にとってそれはとても耐えられない恐ろしいものでした。 けれどもこの祈りの中で、イエス様は神様のみこころである人類の救いを思い、 その人を愛する神様のみこころと思いをひとつにして、ご自身の願いではなく、 神様のみこころが十字架によって、実現することを願うように導かれました。 このときから改めてイエス様は十字架への道をまっしぐらに進んでいかれるのです。

 祈りは、人となられたイエス様にとってかけがえのない、神様との交わりのときでした。

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