受取人=ローマの聖徒たち
今回は、ローマ人への手紙の受取人であるローマの聖徒たちのことを見てみたいと思います。
さて、すでに見てきましたように、パウロはまだローマに行ったことがありません(1:13)。けれども実に多くのローマにいる聖徒たちを知っていました(16:3〜16)。26人もの個人名が記されています。そのうち「使徒の働き」に登場するのは「プリスカとアクラ」(16:3)だけです。プリスカとアクラはイタリアで信仰を持ってコリントに移住、その後パウロとエペソに移り、さらにこの時点ではローマにいました。(使徒18:2,18,26)。パウロが、いかに直接交わりを持ったことのある人だけでなく、多くの方を知り心に留め、祈っていたかと考えさせられます。
ローマにいつ福音が伝えられたか
多くの集会がパウロの伝道によって起こされましたが、パウロが行く以前からあったこのローマの聖徒たちの集まりは、いつ誰から福音を聞き、信じ、互いに交わりを持つようになったのでしょうか。
「使徒の働き」を、パウロがローマ人への手紙を書いた、第3回伝道旅行でコリントに滞在していた3ヶ月間(AD56,使徒20:2,3)よりも以前の記述をずっと遡っていっても、ローマの人々が福音を聞いた記述が出てきません。プリスカとアクラとの出会いはあります(18:2)が、彼らはそれ以前に信仰を持っていました。
ペンテコステの日の出来事
「使徒の働き」をずっと遡って最初まで行くと、そうか、という記述が出てきます。それは、AD33の五旬節(ペンテコステ)の日のことです(使徒2:1)。その日、天から聖霊が弟子たちに下り、彼らは他国のことばで話し、聴いている人たちはめいめい自国語で聞くことができるという不思議なことが起こりました。そこにいたのはユダヤ人ばかりでなく、東から西からいたるところから来た人たちがいました。そして滞在中のローマ人もいたとあります(2:2〜13)。そのあとペテロが話をするのですが、その結果、「三千人ほどが弟子に加えられた。」(2:41)とあります。このとき弟子となったローマ人が帰国して福音を語ったのではないかと思われます。
では、ペテロは何を話したのでしょうか。それを詳しく見てみたいと思います。
ペテロの説教…@聖霊降臨
まず旧約聖書の預言者ヨエルの書より、終末のときに聖霊が降臨することは予め預言されていたことを明らかに(使徒2:17,18)し、そのみことばから、イエス様の生涯(2:19,22〜36)、そして救いの呼びかけ(2:21,38〜40)へと展開していきます。
そのイエス様については、生涯に行われた奇跡、十字架、よみがえり、そして昇天と、旧約聖書を引用しながら、ユダヤ人にわかりやすく、説明していきます。
ペテロの説教…Aイエス様の生涯
ヨエルの預言に「わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。」(使徒2:19)とあったように、イエス様は「力あるわざと、不思議なわざと、あかしの奇蹟を行なわれました。」(2:22) 具体的には、「盲人が見えるようになり、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返」(ルカ8:22)る、ということをなさっていました。このことにより神様はイエス様が主でありキリスト(救い主)であることを明かしされました(使徒2:22)。
ペテロの説教…B十字架の死
神様は、このすばらしい不思議なわざをなされたイエス様を、ねたみによってイエス様に敵対するユダヤ人の指導者に、神様が予め計画されていたとおりに引き渡され、そしてユダヤ人は異邦人であるローマ人の手によって十字架刑で殺してしまった、と強くユダヤ人の罪を指摘します。
ペテロの説教…Cよみがえり
力強くイエス様のご生涯と十字架の死を語ったペテロは、さらに「神は、この方(イエス様)を・・・よみがえらせました。」(使徒2:24)と語ります。人が生き返ることなどけっしてありえないことですが、ユダヤ人が固く信じている旧約聖書の詩篇16篇から引用して「彼(イエス様)はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない。」(2:31)と預言されていたとおりに「神はこのイエスをよみがえらせました。」(2:32)と語ります。
盲信でしょうか。狂信でしょうか。けっしてそんなことはありません。「私たちはみな、そのことの証人です。」(2:32)とみてきた事実であることを気後れすることなく主張します。確かにイエス様が取り調べられているとき、このペテロは大祭司の庭で3度イエス様を知らない、と言い(ルカ22:54〜62)、イエス様が葬られた後は、自分たちもユダヤ人に捕えられることを恐れて戸を閉めて息を殺していました(ヨハネ20:19)。それほど臆病だったペテロたちが変わったのは、復活した主に会い40日間交わって、数多くの確かな証拠をもってイエス様が生きていることを体験したからでした(使徒1:3)。ですから「私たちはみな、そのことの証人です。」(2:32)と力強く語ることができました。
ペテロの説教…D神のみ座の右にいますイエス様
そしてさらにイエス様がオリーブ山から天に昇られるのを目撃した(使徒1:9)ペテロは、詩篇110篇を引用して、イエス様は今は神の右の座におられる主キリストであることをはっきりとユダヤ人に語ります(2:34,35)。
ペテロの説教…E罪の追求
そのうえでユダヤ人に向かって、「神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」(使徒2:36)とその罪を糾弾します。
ペテロの説教…Fその結果
すると「人々はこれを聞いて心を刺され・・・「どうしたらよいでしょうか。」」(2:37)と尋ね、ペテロは悔い改めを勧めます。その結果、実に3000人ほどが弟子に加えられます。そしてその中にはすでに見てきましたように、ユダヤ人だけでなく異邦人も、滞在中のローマ人もいて(2:10)、福音はローマにまで持ち帰られたと思われます。そしてローマにおいて福音は伝えられ、多くの方々が喜んで主キリストのもとに集っていたことがうかがえます。
このローマの聖徒たちにパウロは手紙を書きました。
もう一度…よみがえり
「コペルニクス的転回」ということばをご存じでしょう。「地球中心説(天動説)」が常識の時代に「太陽中心説(地動説)」を唱えたニコラウス・コペルニクスになぞらえて、インマヌエル・カントが自らの認識論を評した言葉で、180度物事の見方を変えて真実を見出すようなときに用いられます。
ローマ書の著者パウロの人生を変えてしまったのはよみがえったイエス様との出会いでした。ローマ書の受取人ローマの聖徒たちに福音をもたらしたローマ人が聞いた説教を語ったペテロはかつては臆病風に吹かれた人でしたが、力強く福音を語るきっかけになったのはよみがえったイエス様に会ったからでした。
彼らの、「人はよみがえることはない。」という常識を覆したのは、彼らがよみがえったイエス様に事実あったからであり、そのことにより、「イエス様は人ではない、神(神の子)という発想にたどり着いたからに違いありません。これこそコペルニクス的転回です。しかしイエス様が神(神の子)という考えに立つと、イエス様の生涯に行われた不思議なわざも、またイエス様の十字架によってすべての人の罪が赦され永遠のいのちが与えられるということもすんなりと理解できます。そればかりでなく、人はどこから来てどこへ行くのか、なぜ死ぬのか、なぜ苦しんで人生を送らなければならないのか、にも関わらず愛する気持ちを持っているのか、すべてすっきりして安らかな気持ちになります。
聖書をよく調べて、イエス様について、コペルニクス的転回ができたらさいわいです。