ローマ人への手紙から一緒に「福音」を考えていきたいと思います。
聖書のテーマはイエス様です。新約聖書の最初はイエス様の生涯を記した4つの「福音書」です。続いて弟子たちの伝道を記した「使徒の働き」。そして新約聖書27巻のうちの半分を占めるローマ人への手紙から始まる「〜への手紙」。これは、使徒パウロによって書かれたものです(ヘブル人への手紙は意見が分かれます)。今回はそのパウロの回心の物語を中心に書いてみたいと思います。
パウロの回心については「使徒の働き」に3回(9:1〜19、22:6〜16、26:12〜18)記述されています。
生い立ち
「サウロ、別名パウロ」(13:9)はユダヤ本国ではなく、小アジア(今のトルコ)の「キリキヤのタルソで生まれたユダヤ人」(使徒22:3)でした。しかしおそらく両親が熱心なユダヤ教徒であったのでしょう。サウロはエルサレムで育てられ、ガマリエルのもとで律法について厳格な教育を受けます。
またユダヤ人ではありましたが、「生まれながらの(ローマ)市民」(使徒22:28)でもありました。地位も財産もある家庭の生まれでなければ与えられない特権です。このローマ市民権を持っていたことにより、何回も迫害を逃れ、パウロはローマにまで福音を伝えることができました。
「律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者」(ピリピ3:5,6)とパウロ自身が言っています。サウロを教えたガマリエルはけっして扇動的な人物ではなく、ユダヤ議会でも人々を説得できる人徳のある方でした(使徒5:34〜39)。ですから、サウロの熱心は生来のものであったのでしょう。
サウロの行動が聖書の記述の中で最初に登場するのは、ステパノの殉教のとき(使徒7:58)です。青年サウロはステパノを石で打ち殺すことに賛成し(使徒8:1)、その人たちの着物の番をしています(使徒7:58)その後も積極的にイエス様の弟子への迫害を主導していきます(使徒8:3)。
ダマスコへの途上での出来事
AD33春、イエス様の十字架と復活があり、その翌年AD34の出来事です。サウロが、イエス様の弟子を捕縛するためにダマスコに向かう途中で事件が起こります。ダマスコに近づいたとき、突然天からの光がサウロを巡り照らし、「サウロ、サウロ。なぜわたし(イエス様)を迫害するのか。」という声がかかります(使徒9:4)。「あなたはどなたですか。」と問うと、@「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」との答えがあります(9:5)。またダマスコの町で、A「しなければならないことが告げられる」(9:6)と教えられます。そのときから目が見えなくなり、人の手に引かれてダマスコに到着します。3日間、目が見えませんでした(9:9)。
3日の間に考えたこと
ダマスコでサウロは目が見えなかった3日の間に何を考えていたのでしょうか。言うまでもなく目が見えなくなる直前に起こったこと、すなわち、天からの光がサウロを巡り照らしたときに聞こえた声が語ったことだったでしょう。人は五感のうち視覚によって80%の情報を得ているということですが、新しい情報が閉ざされ、集中的に「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」(使徒9:5)の真偽だけを考える環境に置かれました。サウロはこのように考えたのではないでしょうか。
光のうちに聞こえた声の主は、そのことばのとおり、イエスなのか? 弟子たちはイエスがよみがえったと喧伝しているけれども、ユダヤ人の間では、弟子たちがイエスの遺体を盗んで行った、と言われている(マタイ28:13,15)。そもそも死人がよみがえるはずはない。しかし光のうちに聞こえた声の主は、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」と言った。サウロが迫害していたのは、イエスの弟子たちであって他の何者でもない、それを自分に向けられたことと語るのはイエス自身しか考えられない。それならば、それはイエスが生きているということ。死んだ事実があって、かつ生きている。いのちを支配し、光のうちに現われる。それは神の姿だ。
確かに「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない」(Tヨハネ1:5)というように、イエスの生涯には暗いところがなかった。イエスを裁いたローマの総督ピラトは、「私は、あの人には罪を認めません。」(ヨハネ18:38)とも「この人の血について、私には責任がない。」(マタイ27:24)とも言ったと聞いている。
祭司長、律法学者はひたすらイエスを十字架につけるよう要求し(マタイ27:1,20)、イエス亡き後も「主(イエス)の弟子たちに対する脅かしと殺害」(使徒9:1)を続けていた。若い自分はその先鋒として行動し、「ステパノの血が流されたとき、私もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの着物の番をしていた」(使徒22:20)。実に自分は罪のない人の血を流してきていたのだ。
思えば尊敬する師ガマリエルが、かつてイエスの弟子たちのことをユダヤ議会で、その対応について弁舌したことがあった(使徒5:27〜40)。あれは大祭司がイエスの弟子たちに対して「イエスの名によって語ってはならない」と言ったにもかかわらず、宮で人々に教えているので、それをただしたときだった。ガマリエルはユダヤ人議会でイエスの弟子たちについての取り扱いを一方的に抑え込むことが必ずしも正しい選択ではないことを、2つの事件の例を出して語り、「(弟子たちの行動が)神から出たものならば、あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」と語って、ことを収めたことがあった。
私は「神に対して熱心」(使徒22:3)でありたいと、「先祖からの伝承(ユダヤ教)に人一倍熱心」(ガラテヤ1:14)にやってきた。ユダヤ教の異端であるイエスの弟子を迫害することは正しいことと行動してきた。しかしイエスが神であるとすると、ガブリエルが語ったように、これを滅ぼすことができないばかりか、自分自身が神に敵対する行動をとっていたことになる。まさに愚かなことであった、と気がついたのではないでしょうか。
皆さんも、今こうしてキリストの福音という光に照らされ、今まで神に対してとってきた態度が問われています。神は私たちにいのちを与え、生きる環境を与え、めぐみをもって皆さんに臨まれています。もしかしたら敵対する立場をとってきてしまっていた、ということはないでしょうか。
次にサウロが考えたことは、神であるイエスを迫害してきたことについて、イエスの赦しを得、和解することであったのではないでしょうか。サウロがユダヤ教に熱心で神の教会を迫害した(ガラテヤ1:13,14)動機は、神に対する熱心(使徒22:3)から来るものでした。ですからイエスが神と分かった以上は、神であるイエスのために生きたい、という強い気持ちを持ったと思います。
神様に敵対してきたことに気づいたならば、それが神に対する罪です。でも気づいて神様と和解したいと考えるならば、あなたの人生にご計画されていることと同じことがあることを知ることができると思います。それは人生の目的を知ることでもあります。
サウロの任務の伝達
3日間、サウロがそのように考えていたところに、アナニヤが現れます。神様はアナニヤをとおして、神様がサウロの後半生によって、神様の大切な働きをご計画されていることを告げられます。すなわち異邦人への福音伝道(使徒9:15)です。
そのことがアナニヤから告げられると、サウロの目からうろこのようなものが落ちて、目が見えるようになります(9:18)。
そしてイエス様につくバプテスマを受けます。人生の大転換です。イエス様を迫害する者が、「イエスは神の子」(9:20)と、宣べ伝える者に変わったときです。
イエス様を神の子と知るとき、まさしく目からうろこが落ちるように、人生の意義を見出し、光に照らされるような思いになることと思います。
サウロの初期の活動
この後サウロは数日間ダマスコの弟子たちとともにいますが、諸会堂で「イエスは神の子」であると宣べ伝え始めます(使徒9:20)。実に光に巡り照らされてから、わずか1週間余りしか経っていません。
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それから一時アラビヤに出ていき(ガラテヤ1:17)、おそらく静かに深くさらに、彼が学んできた律法(旧約聖書)に照らし合わせてイエス様のことを考える日々を送っていたと思います。そしてまたダマスコに戻ってきます(使徒9:22)。そこで得た結論、すなわちイエス様こそ、キリスト、すなわちユダヤ人に約束されたメシア(救い主)であることを証明し、ユダヤ人をうろたえさせます(9:22)。この豹変により、敵味方入れ替わったわけですから、双方の人たちを驚愕させ、恐れさせました。そのためユダヤ人たちはサウロを殺そうと企てますが、サウロは弟子たちに助けられダマスコを脱出します(9:23〜25)。
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光に巡り照らされてから3年後、AD37、サウロはエルサレムを訪問します(ガラテヤ1:18〜24)。そこはサウロを裏切り者として殺そうというユダヤ教の人たちのいる危険なところでしたが、イエス様とともに歩んだ弟子たちもまたそこにいました。ケパ(ペテロ)を訪ね、15日間、交わりをします。そのときイエス様の弟であるヤコブにも会っています。ヤコブはかつて、兄イエスをキリストと理解することができませんでした(マタイ13:55)。けれども、よみがえりの主イエス様に会って(Tコリント15:7)、弟子となっていました。ここでサウロは直接イエス様と交わりを持った人たちに主イエス様のことをよく聞いたのではないでしょうか。その後シリヤ、キリキヤの地方(サウロの出身地タルソに近い異邦人の地域)で伝道します。
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やはり光に巡り照らされてから14年後、先の上京したときから11年後のAD48、またエルサレムに上ります(ガラテヤ2:1〜10)。このときにはバルナバとテトス(ギリシャ人=異邦人)も同行します。特にエルサレムの弟子たちによく知られているバルナバは、サウロを弟子だと信じることができないで恐れている人たちにサウロを紹介するという大切な働きをします(使徒9:27)。テトスも、異邦人も信仰によって救われるという福音の真理を確認する上で重要な働きをします(ガラテヤ2:3,4)。それからタルソ(サウロの出身地)に戻ります(使徒9:30)。
その後のサウロの伝道
次にサウロが登場するのは、使徒12:25です。タルソにいるサウロをバルナバが訪ねてきて、アンテオケに移ります。そこで1年間、サウロは大勢の人たちに教えます(使徒12:26)。このアンテオケの集会で主イエス様を礼拝していると「わたしが召した任務につかせなさい。」(使徒13:2)と聖霊によって世界伝道に導かれ、このときから3回にわたって当時のローマ帝国によって支配されている地中海沿岸地方を伝道し、最後はその政治的中心であるローマにまで「サウロ、別名でパウロ」(使徒13:9)は「神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教え」(使徒28:31)ます。
サウロの伝道の源
よみがえったイエス様に会って目が見えなかった3日の間にサウロが集中的に考えたことは、光の中に現われたイエス様のことでした。
アラビヤに退いてからは、律法(旧約聖書)に照らしてイエス様がメシア(キリスト=救い主)であることをよく確認したことでしょう。エルサレムに上京して弟子たちに会った目的はイエス様のことをイエス様と交わった人たちから直接聞くためだったでしょう。
イエス様のことを真剣に調べ上げた結果、その救いを故郷タルソとその周辺から、伝道していったのです。
イエス様を真剣に調べてみることは、私たちの人生、いや永遠を決める大事なことです。この方は神の御子、私たちの救い主です(ローマ1:4)。
差出人パウロ
「このパウロから、ローマにいる・・・聖徒たち(キリスト信者)へ」(ローマ1:6,7)このローマ人への手紙が書かれました。パウロは第3回伝道旅行の終わりごろ、AD56に、コリントにいてこの手紙を書きました。しかしこの時点までパウロはローマを訪れていません(1:13)。パウロがローマを訪れるのは、4年後、AD60になります。なかなか訪問できないローマの聖徒たちに、キリスト信仰のベースである「福音を伝えたい」(1:15)とこの手紙を書きました。それゆえこの手紙のテーマは「福音」です。