「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」 僧侶である西行法師が、五十鈴川の対岸の「僧尼拝所」から伊勢神宮をお参りしたときに詠んだ和歌といわれています。日本人の信仰心を如実に表した和歌として有名です。
日本人は何が祀られているのかあまり関心を持ちません。何を拝んでいるのかあまり問題にしません。ただただ静寂に包まれた大自然の中に構えた宮に神様が存在すると、畏敬の念を持ち、手を合わせるのです。
神と人との間
伊勢神宮では何が祀られているのでしょうか。内宮(ないくう)にて祀られているのが、
天皇家の祖先にあたる天照大御神(あまてらすおおみかみ)です。
外宮(げくう)にて祀られているのが、紀元500年頃、丹波の国(京都府)から移された衣食住の神である
豊国大御神(とようけおおみかみ)です。
「古事記」「日本書紀」によりますと、今も申しましたように、天照大御神は初代天皇として位置付けられている神武天皇の5代前の祖先にあたります。神武天皇は以前、神倭伊波毘古(かみやまといわれひこ)と称していました。
父は鵜草葦不合命(うがやふきあえずのみこと)といいます。その父は火照命(ほでりのみこと)です。
またその父は邇邇芸命(ににぎのみこと)といい、天孫降臨といわれていますが、
高天原(たかまのはら)より日向国高千穂(宮崎県)にやってきたとされています。
さらにその父が天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)です。
そしてその母が天照大御神なのです。ついでに天照大御神を生んだのは伊邪那岐命
(いざなぎのみこと)です。
神武天皇以前は神代(かみよ)と位置付けられている時代ですが、系図としてはずっと続いていて、人と神との境はないのです。こういうことですから、伊勢神宮で天照大御神を祀るということは先祖礼拝をして子孫繁栄を願っているということになるのでしょう。
また恵みをもたらすものとして、自然も神として考えているようです。
ルカの福音書3章23〜38節には、イエス様の育てのお父さんであるヨセフからさかのぼって神様にいたる系図が
記されています。その最後は「このアダムは神の子である。」(ルカ3:38)
とありますが、それは神様によって創造されてことを表現したことばであって創世記には明快に「
創世
物事の本質を尋ねる方法として、その最初を調べるとよいといわれます。
「古事記」の冒頭は、「天地初めて発けし時、高天の原に成れる神の名は、天之御中主神
(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御座巣日神(たかみむすびのかみ)、
神産巣日神(かみむすびのかみ)、此の三柱は、並独身と成り座して、身を隠したまいき」とあります。
天地開闢のときから存在するということで、この3人の神様を「造化三神(ぞうかさんしん)」というそうです。
さらに宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしあかびひこじのかみ)と天之常立神(あめのとこたちのかみ)
を加えた5人を別天神(ことあまつかみ)といって男女の性別のない神様で、この後の神様たちとは区別され、
特別尊い神様とされています。
最初から複数の神様がいて、その名前はあっても業績はありません。
世界史からいうと彼らこそ大陸から渡ってきた日本人の祖先ではなかろうかと、小生には思われるのですが、
いかがでしょうか。学者の中でも、この初めの頃の物語は、擬人化した天地創造の物語ではないかと
考える方もいるようです。
いずれにしても日本の神様は、神様といっても実は人間であり、日本人の祖先といってまちがいないでしょう。
聖書の冒頭は「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1)で始まります。
さらに「初めに、ことばイエス様があった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方イエス様によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネ1:1〜3)とも語るのです。
古事記ですと天地の初めを語るにあたって神様(人)が登場するのですが、聖書は、神様がいらっしゃって、それからすべてのことが始まるのですね。神様がすべてのすべてなのです。天地の創造もその後の事柄なのです。聖書を貫いているのは、初めから最後まで、この神様と御子イエス様なのです。
神のおられるところ
天照大御神がなぜ伊勢の地に祀られるようになったのか、そのいきさつは「日本書紀」に記されています。第10代崇神(すじん)天皇の時代に国内に疫病がはやり、人々が不安に襲われていました。日本でも当時は祭政一致で天皇が祭事も行なっていました。占いの結果、天照大御神を皇居の外の大和国笠縫邑(やまとのくになさぬいのむら)に移し、さらに第11代垂仁(すいにん)天皇の時代に、皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大御神の鎮座する地を求めて、大和国を出発して、近江、美濃と旅をして、落ち着いたのが伊勢の地であったというわけです。
まことの神様は遍在者です。イスラエルのダビデ王様はこのように賛美しています。
「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。」(詩篇139:7、8)
いつでもどこでも私たちの祈りを聞いてくださる、生きて働いておられる神様です。
普遍性
「村の鎮守の神様の今日はめでたいお祭日♪」 町や村にはその地の神社があります。そこには祀っているものがあり系列があります。日本史の中では二度、統括しようとしたときがあったようです。
一度目は、平安時代、律令制度の整ったときで、「延喜式」の中の「神名帳」の中に、「式内社」として記録されただけでも、実に2,861社あったようです。その後仏教優位の時代もあったわけですが、明治時代になり、大政奉還というわけで、政府は、明治天皇を中心の国家神道を築くべく、政治的に天皇家の先祖である伊勢神宮のもとに全国の神社をまとめあげます。太平洋戦争のときには、周辺諸国にも強制的に神棚を礼拝させた歴史があります。
政治によって利用されてきた神、地域限定の神、家内安全商売繁盛と小さな守備範囲しか力がない神、はたして信頼を置いて安心を得られるでしょうか。
神様がエジプトで奴隷として使役されているイスラエル民族の苦しみに目をとめられたとき、これを助け出すためにモーセを遣わすことと致しました。その時モーセは自分が神様から選ばれたものであることをどのようにイスラエルの人たちに伝えたらよいか戸惑いました。
すると神様は「わたしは、『わたしはある。』という者である。」・・・「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」(出エジプト記3:14、15)と仰せになりました。神様はすべてのものをお造りになったのですから、どのような状況にあっても環境をつくり出すのはやはり神様だと、神様は主張されます。「初めに神」(創世記1:1)である神様は、「唯一で」(Tテモテ2:5)「きのうもきょうも、いつまでも、同じ」
(ヘブル13:8)御方です。
神のご人格
天の岩戸(あまのいわと)というお話があります。天照大御神には須佐之男命(すさのおのみこと)という弟がいたのですが、高天原(たかまのはら)で米作りや機織のさまたげになるいたずらをしました。これに手を焼いた天照大御神は天の岩戸に隠れてしまいます。すると世の中が真っ暗になり災いが次々に起こります。そこで八百万の神々が相談をして、天の岩戸の前でお祭りをします。その賑わいを聞いて外の様子をのぞこうとしたところを、八咫鏡(やたのかがみ)でその姿を映しますと、岩戸から天照大御神が身を乗り出します。そこをすかさず手力男神(たぢからおのかみ)という力持ちの神様が岩戸をあけ、天照大御神が出てくると世の中は再び明るくなったということです。そして須佐之男命は高天原を追放されてしまいます。身を隠したり、手を焼いたり、いたずらしたり、人間となんら変わりがないのです。
創造主である「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。」(Tヨハネ1:5)のです。ひるがえって、被造物である私たちは、その創造主を無視して、神様によって造られた人や自然を拝んでいます。これは創造主に対して、背任行為でなくてなんでしょう。しかし、にもかかわらず、神様はなお、そのような人間を愛してご自分のみもとに引き寄せようとなさっておられます。そのために神様はひとり子であるイエス様をこの世に遣わし、神様がどのような御方であるか、そのことばとわざとを通して知ることができるようになさってくださいました。イエス・キリストの恵みとまことにあふれたご生涯をたどると、私たちはそのことをよく知ることができます。また神様が人を愛するそのみこころは罪の結果としての死を刈り取り永遠の滅びへと歩んでいる罪人を救おうと十字架のさばきという形で現わされました。私たちが神に背いたそのさばきを、神の御子イエス様が十字架の上でお受けくださり、神の御国、永遠のいのちへの道を備えてくださったのです。
「神は愛です。」(Tヨハネ4:16)
天地万物の創造者である神様が、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)と言われます。主権者である御方がそのように言われるとき、私たちは自分の価値を初めてはっきりと見出すことができるのではないでしょうか。 生きて、あなたを愛しておられるこの神様を、ぜひお知りになってくださるよう、お勧めいたします。