「契約の箱」のことを書いてみたいと思います。
「契約の箱」は神ご自身の代わりのような位置付けにあると思います。
ですから、神様がどのような御方か、また私たちはどのように神様に向かわなければならないか、
そんなことを知ることができると思います。
「契約の箱」には、4つの表現があります。それぞれ場面よって呼ばれているように思えます。
まず、「契約の箱」。もっともシンプルな言い方です。「主の契約の箱」とも言われています。
これはその箱の中に十戒が記された2枚の石の板、
すなわち主の契約のあかしが収められたことによって、そう呼ばれたのでしょう。
次は「あかしの箱」。2枚の石の板は、さとし(あかし)とも言われました
(出エジプト25:16)。3番目に「主の箱」、そして4番目に「神の箱」と呼ばれます。
これらはヨシュアの時代以後の言い方で、収められている契約よりも、
神の御臨在の方が意味あいが濃くなっているように思われます。
「契約の箱」が作られたのは、モーセの時代です。神様の命令によって作られ、
神様が現われるところとしてイスラエルの中心に位置付けられました。
ですから幕屋の深奥部至聖所に置かれ、そこから神様はモーセに語られ、
アロンが年に一度イスラエルの贖罪を行ないました。
「契約の箱」はアカシヤ材で作られ、長さ約11m、幅約66cm、高さ約66cmで、
純金を内外にかぶせ、持ち運びができるよう左右に2個ずつ金の環を取り付け、
金で覆った担ぎ棒を差し込んだものでした。
この箱には十戒を書き記した2枚の石の板が収められました。
後にアロンの杖とマナのつぼも入れられたようです。
この「契約の箱」に、純金の「贖いのふた」がかぶせられました。
そこには金を鍛造して作ったふたりの翼を上の方に伸べ広げたケルブという天使を模した像が
向かい合わせで取り付けられました。
このケルビムの間から神様はモーセに語りかけられました
(出エジプト25:10〜22、37:1〜9)。
「契約の箱」は、持ち運べるよう母材はアカシヤ材という
硬いシナイ半島にある木が使用されましたが、
全面金で覆われたまばゆいばかりのものであったでしょう。
金は神様の栄光を表していました。
この「契約の箱」が置かれたのは、至聖所でした。
イスラエルの300万人とも言われる宿営の中心に幕屋が立てられました。
その幕屋は東西約13.2m、南北約4.4m、東側が入口で、手前の2/3の部分が聖所、
奥の1/3の部分が至聖所と呼ばれました。この奥の至聖所には「契約の箱」だけが置かれ、
年に1度だけ大祭司が贖罪の日に入る以外は誰も入ることのできないところでした
(ヘブル9:7)。
モーセが神様の命令を聞くときもおそらく隔ての垂れ幕の聖所の側で、「契約の箱」の上、
贖いのふたの間に現れた神様の声を聞いたのでしょうか。
神様は偏在者=どこにでもおられる方として私たちは知ることができます。
けれどもここでは神の民イスラエルの中心におられる神様の御臨在を
私たちは知ることができるのではないでしょうか。
今の時代、神様は新約の神の民である集会の中に御臨在なさっておられることを知ります。
クリスチャンはそれゆえ、キリストの御名のもとに集うものであることを教えられます。
またクリスチャンひとりひとりの内にも御臨在なさってくださいます。
イスラエルの宿営は、カナンに入植するまで、昼は雲の柱、
夜は火の柱に導かれて移動しました(出エジプト13:21,22)。
そして「宿営が進むときは、
アロンとその子らははいって行って、仕切りの幕を取り降ろし、あかしの箱をそれでおおい、
その上にじゅごんの皮のおおいを掛け、またその上に真青の布を延べ、かつぎ棒を通す。
・・・その後に(
レビ人の)
ケハテ族がはいって来て、これらを運ばなければならない。
」(4,6,15)と定められていました。
これに関しては後に事件がおきるので、そこで触れたいと思います。
そしてイスラエルが移動するときは「契約の箱」が先頭を進みました民数記'(10:33)
イスラエルは荒野を40年間放浪しましたが、その最後はヨルダン川の渡河でした。
このヨルダン川を渡るとき、「契約の箱」をかついでいるレビ人の祭司たちが先頭に進み、
民はその後に続きました。そして箱をかつぐ祭司たちの足が水際に浸ったとき、
驚くべきことに上から流れ下る水はつっ立ってせきをなして立ち、水が完全にせきとめられ、
「主の契約の箱をかつぐ祭司たちが
ヨルダン川の真中のかわいた地にしっかりと立つうちに、イスラエル全体は、
かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった」
(ヨシュア3:17)のです。
続いて約束の地カナンに入ったヨシュアに、神様は城壁によって
堅く守られているエリコの町を攻略するように命じられます。
しかしその方法はまったく常識的に考えられない神様による方法でした。
「契約の箱」をかついだ祭司たちの前を7人の祭司が7つの角笛を吹き鳴らして進みます。
その前を武装した者たちが無言で進みます。しんがりも同じです。
この集団が一日一回、エリコの町の城壁の周りを6日間回ります。
そして7日目に7回回ります。そしてときの声をあげるとその堅固な城壁が崩れ落ちるのです。
そこでどっと町の中に攻め込みます。そうしてこの町を落としてしまうのです
(ヨシュア記3、4章)。神様はこのあと、カナンの先住民族を打っていくための手始めに、
イスラエルに自信をつけさせるためにこのような直接的な方法をとられたのでしょう。
「契約の箱」がその中心にあったことは、
神様の力によることをはっきりと認識するためだったのではないでしょうか。
神様は神の民の中心に御臨在なさるだけではなく、ご自分の民を導き、
必要があれば先頭に立って戦ってくださる御方です。
カナンに入植し、幕屋が移動する必要がなくなったとき、
「イスラエル人の全会衆はシロに集まり、
そこに会見の天幕(幕屋)を建てた。」(ヨシュア18:1)
こうして「契約の箱」もシロにとどまることになり、祭司エリの時代まで続きました
(Tサムエル3:3)。この間300〜400年くらいでしょうか。
イスラエルがペリシテとの戦いに負けたとき、イスラエルの長老たちは「契約の箱」を
戦場に持ってくれば敵の手から救われると考え、シロの幕屋から「契約の箱」を持ってきます。
それによってイスラエルの陣営の士気は上がり、
ペリシテ人は「神が陣営に来た」といって恐れます。けれどもペリシテはむしろ奮い立ち、
イスラエルを打ち負かし、ついには「契約の箱」を奪い、
ペリシテの地アシュドデに持っていってしまいます(Tサムエル4章)。
神様は信仰によらないで、都合によって利用するイスラエルのためには戦われませんでした。
ペリシテ人は「契約の箱」をペリシテの神であるダゴンの宮に運びます。
イスラエルの神がダゴンに屈服したことを表そうとしたのでしょう。
ダゴンのかたわらに安置します。しかし翌朝見るとダゴンが「契約の箱」の前に
うつぶせになって倒れています。元に戻しますが、また翌朝ダゴンは「契約の箱」の前に
うつぶせに倒れているばかりでなく、頭と両腕が取れて敷居のところにころがっています。
さらにアシュドデとその地域に腫物が襲います。そこでペリシテ人の領主は集まり
「契約の箱」をどうしたらよいか相談し、ガテに移します。そこでも大恐慌と腫物が襲います。
そこでエクロンに送ります。そこでも死と腫物が襲います。
ついにペリシテ人の領主たちは「契約の箱」をイスラエルに返そうと相談します
(Tサムエル5章)。
ペリシテ人は、ペリシテの祭司、占い師にどのようにして返したらよいか相談した結果、
丁重に扱わなければならないと考えたのでしょう。
「契約の箱」は台車に載せられ2頭の雌牛にひかれ、金の品々を添えて、
牛にひかれるままに任されます。牛はイスラエル領ベテ・シュメシュまで
まっすぐに進んでいきます。こうして「契約の箱」はイスラエルに戻ってきます
(Tサムエル6章)。
神様は人に仕えられる必要のない方です。「初めに神」(創世記1:1)と記されているように、
神様は万物の初めから存在なさっておられる御方です。人が喜んで仕えることを、
喜んでくださる御方ですけれども、偶像の神々のように、
人に仕えられなければならない御方ではありません。
イスラエルに戻った「契約の箱」は、ベテ・シュメシュからキリヤテ・エアリムの
アビナダブの家に移され、20年が過ぎます(Tサムエル6:19〜7:2)。
この間に、時代は預言者サムエルからダビデ王に移っていきます。
ダビデ王国が成立したとき、ダビデは「契約の箱」をダビデの町エルサレムに迎えたい
と考えました。そこで「契約に箱」を新しい車に乗せ、アビナダブの家から運び出し、
アビナダブの子のウザとアフヨが新しい車を御します。ナコンの打ち場まで来たとき、
牛が「契約の箱」をひっくり返しそうになります。
とっさにウザは手を伸ばして「契約の箱」を押さえます。
神様は怒ってウザを不敬の罪のためにその場で打たれ、ウザはその場で死にます。
ダビデは神様を恐れ「契約の箱」をダビデの町に迎えることを中止し、
ガテ人オベデ・エドムの家に一時預けることにします。
どうしてウザは打たれなければならなかったのでしょうか。
ダビデの動機はよかったのですが、「契約の箱」についての扱いが正しくなかったからです。
かつてペリシテ人は「契約の箱」をイスラエルに返すために台車に載せ牛に引かせて
送り返してきました。それはまことの神様を知らない異邦人が行なったことなので
神様は赦されました。しかし神の民であるイスラエルは、その取り扱いについてはっきりと
「(レビ人の)ケハテ族が・・・(かついで)
運ばなければならない。」(民数記4:15)と教えられていながら、
そのことを思い出し検討することもなく、ただペリシテがやったことだけを覚えていて、
そのとおりに行なったからでした。これは神様に対する不敬にあたりますから、
神様の怒りを買うことになったのです。私たちも神様に対して
姿勢をただして向かわなければなりません。
生けるまことの神様は侮られるような御方ではないからです。
(Tサムエル6:11、T歴代史13章)
3ヶ月が過ぎ、ダビデは改めて、エルサレムに「契約の箱」を迎えるために宣言します。
「レビ人でなければ、神の箱をかついではならない。
主は、主の箱をかつがせ、とこしえまでも、ご自身に仕えさせるために、
彼らを選ばれたからである。」(T歴代史15:2)
そして祭司たちと862人にも上るレビ人たちが身を聖別します。
「レビ族は、モーセが主のことばに従って命じたとおり、
神の箱をにない棒で肩にかついだ。」(T歴代史15:15)
音楽と歌、そして途中、「七頭の雄牛と七頭の雄羊とを
いけにえとしてささげ」(T歴代史15:26)るほど丁重に運んでまいります。
こうして「契約の箱」はオベデ・エドムの家から、ダビデの町エルサレムに運ばれ、
「契約の箱」のためにダビデが用意した天幕に安置されます。
そしてまずダビデは神様に全焼のいけにえと和解のいけにえをささげ、
それから主の御名によってイスラエルの民を祝福しました(T歴代史16:1,2)。
そして「レビ人の中のある者たちを、主の箱の前に仕えさせ、
イスラエルの神、主を覚えて感謝し、ほめたたえるようにし」
(T歴代史16:4)ました。
この後ダビデは、「この私が杉材の家に住んでいるのに、
主の契約の箱は天幕の下にあります。」(T歴代史17:1)と言って、
神殿建設の志を抱きます。これを神様は喜ばれダビデを祝福し
「彼の王座は、とこしえまでも堅く立つ。」
(T歴代史17:14)と約束されます。これはイエス・キリストの王座です。
ダビデは多くの血を流したために神殿建設を許されず、その子ソロモンにゆだねられます。
ダビデはそのための用意をひたすら整えます(T歴代史22章)。
ソロモンがその志を引き継ぎ、エルサレムのモリヤ山上に神殿を完成させます。
そして「レビ人たちは箱をにない、
・・・それから、祭司たちは主の契約の箱を、定めの場所、
すなわち神殿の内堂である至聖所のケルビムの翼の下に運び入れ」
(U歴代史5:4,7)ます。
ソロモンの神殿は、建てられてから400年後、
紀元前586年にバビロン人によって破壊されます。
それ以前から背信のイスラエルは預言者たちの警告にもかかわらず
悔改めることなく破滅の道をひた走っていました。
そのようなとき預言者エレミヤもまたこのように警告しています。
「彼らはもう、主の契約の箱について何も言わず、
心にも留めず、思い出しもせず、調べもせず、再び作ろうともしない。」
(エレミヤ3:16) 神への信仰を失ったイスラエルはバビロンによって滅ぼされ、
契約の箱もそのときより記述がありません。
神様はこれを現在にいたるまで隠してしまわれました。もしあったとしても、
愚かな人間はこれを偶像にするだけでしょうからそのほうがいいかもしれません。
「契約の箱」の歴史を見てきて、神様の至高性と、その神様に対して
どのような姿勢で対するべきか、よく知ることができたと思います。
神様は生きておられる方です。私たちはこの神様の御手の内にあって、
生かされている存在です