今回は預言者エリシャのことを書きたいと思います。
エリシャはエリヤの後を引き継いで北イスラエル王国にあって、
バアル礼拝とそれを持ち込んだアハブ王の家系と戦った預言者です。
エリヤがもっぱらひとりでバアル礼拝と戦ったのに対し、エリシャは預言者のともがら初め、
非常に多くの人とかかわりを持ち、その人たちのために奇跡をしばしば行ない、
また預言者として、王や人々に神様のみことばを伝える働きをします。
聖書は奇跡に満ちた書物のような印象がありますが、けっしていつの時代にも、
奇跡が行なわれたわけではありません。モーセとそれに続くヨシュア、
それからエリヤが少しとエリシャ、そしてイエス様と
イエス様によって力を与えられた使徒たち、この3つの時代だけでしょう。
奇跡が行われた時代というのはたいへん限られているのです。
ちなみに聖書には人がよみがえらされた記事が7つ出てきます。
@エリヤによる、ツァレファテのやもめの息子(T列王記17:22)
Aエリシャによる、シュネムの女の息子(U列王記4:35)
Bイエス様による、会堂管理者ヤイロの娘(マルコ5:42)
Cイエス様による、ナインのやもめの息子(ルカ7:15)
Dイエス様による、ラザロ(ヨハネ伝11:44)
Eペテロによる、タビタ(ドルカス)(使徒9:40)
Fパウロによる、ユテコ(使徒20:12)
けれどもすべての奇跡がイスラエルの神特有のものかといえば
必ずしもそうとはいえません。モーセがパロの前で行なった10の奇跡のうちのいくつかは
エジプトの魔術師もまねることができました。しかしいのちに関することは
行なえませんでした。現在でもいろいろな不思議なことがありますが、
それも同じでしょう。
それでも聖書が奇跡に満ちている印象を与えるのは、
人が介在しない神様が行なった不思議な出来事がたくさん記されているからでしょう。
例えば、荒野でイスラエルが40年間、マナによって養われたこと(出エジプト16:35)、
ダゴンの宮で、契約の箱の前にダゴンの像がうつぶせに倒れたこと(Tサムエル5:3、4)、
ヒゼキヤの願いにより日時計が十度、あと戻りしたこと(U列王記20:11)、
火の燃える炉に投げ込まれたイスラエルの3人の若者に、
火の影響が及ばなかったこと(ダニエル3:27)などたくさんたくさんありますね。
これも奇跡とは違いますが、神様からの啓示に従って偉大な働きをした人がいます。
ヨセフは夢を解き明かす力があり、神様からの啓示に従いエジプトにいて政治をし、
ヤコブの家族を飢饉から救いました(創世記37〜50章)。
ダニエルも異邦の国々で王たちに仕え、その夢や幻を解き明かし、
神様のご計画を語りました(ダニエル書)。
預言者として覚えられるのは、サムエルからバプテスマのヨハネまでです。
イスラエルの民が偶像礼拝に走り、神様から遠ざかってしまうと、
国家も衰退の道をたどり始めます。そのようなとき神様は預言者を遣わして
悔い改めて神様に立ち返るように警告を与えられるのです。
これが預言者の働きでした。
エリヤ、エリシャ、アモス、ホセアは、北イスラエル王国に向かって語り、
ヨエル、イザヤ、ミカ、エレミヤ、ハバクク、ゼパニヤ、ハガイ、ゼカリヤ、
マラキは南ユダ王国に向かって語りました。異邦の国に向かって語った預言者もいました。
ヨナ、ナホムはアッシリア帝国に、オバデヤはエドムに向かって語りました。
神様はすべての人が悔い改めて神様に立ち返ることを望んでおられます。
エリヤは真っ向からアハブ王に警告し、バアル礼拝と戦いました。
けれどもエリシャは人々に中にいて、特に奇跡を行なうことによって、
イスラエルの神様こそ生けるまことの神様であることを現わした人です。
エリシャが行なった奇跡を列挙してみましょう。
エリシャは、エリヤが竜巻に乗って天に昇っていくとき、
エリヤから2つのものを受け継ぎました。ひとつはエリヤの
「霊の、二つの分け前」(U列王記2:9)、
もうひとつはエリヤの「外套」(2:13)でした。
@エリシャがその外套をとってヨルダン川の水を打つと水が分かれて、
エリシャは川を渡り、エリコに戻ります。そしてエリヤの霊が
エリシャにとどまっていることを預言者のともがらが知ることになります。(2:13〜15)
Aそのエリコは水が悪いために流産が多いところでした。エリシャはこれを聞いて
あわれに思い、水の源に塩を投げ込み、水をいやします。(2:19〜22)
Bその後、やもめになった預言者のともがらの妻のひとりの訴えを聞き、
あわれに思って、その家の負債の支払いと生活費のために、
たくさんの空の器に油を満たしてあげます。(4:1〜7)
C子どもが与えられることを諦めていたシュネムの女に
やっと与えられた息子が死んでしまったとき、
あわれに思ってよみがえらせてあげます。(4:18〜37)
D預言者のともがらのひとりがみんなの食事のために用意した釜の煮物の中に、
毒が混入したため、麦粉を入れて毒を消してあげます。(4:38〜41)
E大麦のパン20個と1袋の新穀で100人に給食し、有り余ります。(4:42〜44)
F北イスラエル王国をしばしば脅かした北東の隣国アラムの
将軍ナアマンのらい病をいやします。(5:1〜19)
G預言者のともがらのひとりがヨルダン川に誤って借りた斧の頭を落としてしまうと、
エリシャはあわれに思って1本の枝を投げ込んで、斧の頭を浮かばせてあげます。
(6:1〜7) イソップ物語の「金の斧、銀の斧」は、ここから創作されたんでしょうか。
Hアラムの大群がエリシャのいるドタンの町を包囲したとき、
これに恐れをなした召使を気遣って、エリシャは彼の目を開いて、
山に満ちている火の馬と戦車を見せて神の加護を教えます。(6:8〜17)
イエス様は「あわれみ深い者は幸いです。」
(マタイ5:7)と教えられました。また「医者を必要とするのは
丈夫な者ではなく、病人です『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』
とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、
罪人を招くために来たのです。」(マタイ9:12,13)とも語られました。
マタイ伝の中からイエス様のあわれみに満ちた奇跡を拾ってみましょう。
@「ふたりの盲人が大声で、
「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください。」と叫び」ました。
イエス様は「彼らの目にさわって、
「あなたがたの信仰のとおりになれ。」と言われ」
て目を開けてくださいました。(9:27〜29)
A町々から歩いてイエス様のあとを追ってきた
「多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、
彼らの病気を直」してくださいました。(14:13,14)
Bカナン人の女が「主よ。ダビデの子よ。
私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」
と叫びます。イエス様はその女の信仰を見て娘を直してくださいました。(15:21〜28)
C食べるものを持っていない群集をかわいそうに思い、7つのパンと小さい魚で、
男だけで4000人もいた群集に給食をなさいました。(15:32〜38)
D「主よ。私の息子をあわれんでください。
てんかんで、たいへん苦しんでおります。何度も何度も火の中に落ちたり、
水の中に落ちたりいたします。」とひとりの人が嘆願します。
イエス様がおしかりになるとその子から悪例が出て行き、直ります。(17:14〜18)
Eエリコでふたりの盲人が「主よ。
私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」と叫びます。
イエス様はかわいそうに思って、彼らの目にさわると、
見えるようになりました。(20:29〜34)
イエス様はこれ以外にも数々の恵みとあわれみに富んだ奇跡を行ないました。
ヨハネはヨハネ伝の最後にこのように書いています。
「この書には書かれていないが、
まだほかの多くのしるし(奇跡)をも、イエスは弟子たちの前で行われた。」(20:30)
イエス様は恵みとあわれみに満ちた御方です。イエス様がそのように
あわれみに満ちた御方でしたから、罪にとらわれて永遠の滅びへと歩んでいる私たちに
心を留めてくださり、天の栄光を捨ててこの地上に来てくださって十字架で
私たちの罪を身代わりに負ってくださって救いの道を用意してくださいました。
一度死ぬことと死んだ後、神様のさばきを受けることが定まっていた私たちが
イエス様によって神様との和解の道が与えられたことこそ、
まさに奇跡というほかありません。
エリシャはその活躍した前半では、奇跡を行なうことにより、
イスラエルの神様こそ生けるまことの神であることを現わしました。
そして後半では、神様のみことばを人々に告げる働きをすることによって、
イスラエルの神様こそ生けるまことの神であることを現わしました。
初期の頃一度だけ、北イスラエル王国のヨラム王が
南東に位置するモアブを攻撃するときに神様のみこころを伝えたことがあります。
ヨラム王はバアル礼拝を推進したアハブ王の子でしたから、
彼のために神様のみこころを求める気持ちはありませんでしたが、
連合軍として参加していた南ユダ王国のヨシャパテ王のために
神様のみこころを尋ねます。その結果、連合軍は勝利するのですが、
モアブの王の決死の対策により軍を引き上げることになります。結局、
属国モアブをイスラエルの支配下から失うことになります。(U列王記3:1〜27)
先に、エリシャの奇跡の最後にアラムの大群に囲まれたときのことを見ましたが、
あとはそれ以後のことになります。アラムの王ベン・ハダテがもう一度やってきて、
今度は北イスラエル王国の首都サマリヤを包囲します。そのためサマリヤは
たいへんな飢饉に襲われます。そんなときエリシャに神様のみことばが告げられ、
飢饉から解放されることが示されます。事実そのとおり
アラムの軍勢は神様の働きにより陣営を捨てて逃げ去り、
イスラエルの人々は豊かな食料や物資を手に入れることになります。(6:24〜7:20)
そののちまた北イスラエル王国は7年間の飢饉に見舞われるのですが、
エリシャはあのシュネムの女に予めそれを告げ、女を助けます。(8:1〜6)
それからアラムの王ベン・ハダテが病気になったとき、神様に告げられたとおり、
直るが死ぬこと、またハザエルが王になることを告げます。
ハザエルは謀反を起こし、ベン・ハダテに代わってアラムの王になります。(8:7〜15)
ところでイスラエルを取り巻く環境ですが、モアブに続いてこの頃、
南ユダ王国の南の隣国エドムもユダ王国の支配から脱します(8:20、22)。
北イスラエル王国、南ユダ王国の衰退を物語る事柄です。
かつてエリシャの先輩預言者エリヤに神様が、バアル礼拝及び
それをイスラエルにおいて推進したアハブの家系を退け、
イスラエルに神の栄光を回復する後継者について告げられたことがありました。
「ハザエルに油をそそいで、アラムの王とせよ。
また、ニムシの子エフーに油をそそいで、イスラエルの王とせよ。また、
アベル・メホラの出のシャファテの子エリシャに油をそそいで、
あなたに代わる預言者とせよ。ハザエルの剣を逃れる者をエフーが殺し、
エフーの剣を逃れる者をエリシャが殺す。」(T列王記19:15〜17)
そのハザエルが、アラムの王となりました。
そして北イスラエル王国のアハブの子のヨラム王に傷を負わせます。
続いてエリシャが預言者のともがらのひとりにエフーに油をそそがせます(U列王記9:6)。
エフーは北イスラエルの王アハブの子ヨラムに対して謀反を起こし(9:14)、
ヨラム王を御告げのとおりに打ちます(9:24〜26)。その他にエフーが打ったのは、
アハブの娘婿で南ユダの王アハズヤ、アハブの妻イゼベル、アハブの70人の子、
アハブの家に属するものでイズレエルに残っていた者みな、
アハズヤ王(アハブの娘婿)の身内の物たち42人。(9:27〜10:14)。
このように「エフーはアハブに属するもので
サマリヤに残っていた者を皆殺しにし、その一族を根絶やしにした。
主がエリヤにお告げになったことばのとおりであった。」(10:17)
まだエフーの仕事は続きます。バアルの信者たちを打ち、バアルの宮も壊してしまいます
(10:25、27)。「このようにして、
エフーはバアルをイスラエルから根絶やしにした。」(10:28)
神様はエフーによって、バアル礼拝とアハブの家系を打って、
神様の栄光を回復いたしました。
神様はしかし、バアル礼拝に走ったイスラエルに対し、
その祝福を少しずつ奪います。ダビデのとき支配下におさめた、
モアブが北イスラエルの支配を脱し(3:1〜27)、エドムも南ユダ王国の支配を脱した
(8:20)ばかりでなく、イスラエル王国の領土が削られていくのです。
その働きをしたのがアラムの王ハザエルでした。ヨルダン川の東側を
北イスラエル王国から奪います(10:32,33)。そのハザエルが南ユダ王国に攻め込み、
エルサレムの南西40kmのガテを攻略した上でエルサレムを目指していることを見ると、
ハザエルは北イスラエル王国、南ユダ王国の国内を平然と通過しているものと思われます
(12:17)。このアラムの王ハザエルは、北イスラエル王国のヨラム、エフー、
エホアハズ王の時代に、バアル礼拝を行なった報いを知らせるために
神様に用いられるのですが、その使命を終えると、
神様はその子ベン・ハダテ2世の時代にイスラエルの領土を回復されます。
「エフーの剣を逃れるものをエリシャが殺す。」
(T列王記19:17)という場面は結局おとずれなかったようです。
それほどまでにエフーの働きは徹底したものであったということでしょう。
そのエリシャも死んで葬られました。この頃になると、
かつて北イスラエル王国の支配下にあったモアブの略奪隊が
毎年イスラエルにやってくるという有様になっていました。あるとき、
遺体を葬ろうとしている人が、その略奪隊を見て慌てて、
その遺体をエリシャの墓に投げ込んで逃げていきました。
するとその死んだ人はエリシャの骨に触れて生き返るのです。(U列王記13:20,21)
死んでなお、エリシャは恵みとあわれみに富んだ奇跡を行なう人でした。