預言者エレミヤの涙から、滅びに向かうものへの神様の嘆きに心を留めたいと思います。
エレミヤが活動したのは「ユダの王ヨシヤの時代、
・・・さらに、エホヤキムの時代・・・、ゼデキヤの第十一年の終わりまで、
すなわち、・・・エルサレムの民の捕囚の時まで」(エレミヤ1:2,3)、です。
この激動の時代に、悔い改めを求めて、ユダの民に向かって呼びかけ続けました。
@歴史
エレミヤが預言者として召命されたのは、ヨシヤ王の第13年(BC626、1:2)で、
アッシリア帝国のアッシュール・バーン・アプリ王が死んだ年でもありました。
歴史が大きく動き始めます。ユダの王ヨシヤがエジプトの王パロ・ネコに撃たれ
戦死するのが、その治世の31年(BC608)、ユダ王国は滅亡への道を下り始めます。
その翌年、すでに力を蓄えていたバビロンがアッシリアの首都ニネベを陥落させます。
さらにその2年後、バビロンはカルケミシュの戦いでエジプトを破ります(BC605、46:2)。
A預言
このヨシヤ王の時代に、神様がエレミヤを通して語られたことばには
南ユダ王国に対する失望に覆われています。そしてその滅亡を宣言するに至ります。
「背信の女イスラエルは、姦通したというその理由で、
私が離婚状を渡してこれを追い出したのに、裏切る女、妹のユダは恐れもせず、
自分で行って、淫行を行なったのをわたしは見た。彼女は、自分の淫行を軽く見て、
国を汚し、石や木と貫通した。このようなことをしながら、裏切る女、妹のユダは、
心を尽くしてわたしに帰らず、ただ偽っていたにすぎなかった。」
(エレミヤ3:8〜10) 神様は、エルサレムに神殿のある南ユダ王国こそ、
北イスラエル王国が偶像礼拝という背信行為のために滅亡したことを教訓として、
いよいよ神様を恐れ忠実に従うようになる、と期待します。
けれどもその神様のみこころを裏切り南ユダ王国は、北イスラエル王国滅亡後のマナセ王が、
実にエルサレムの神殿で偶像礼拝を行ないます(U列王記21:3〜9、U歴代誌33:3〜9)。
これは赦しがたいことでした。一度はヒゼキヤ王のときに
よくなったかと思われたユダ王国でしたが、神様はこの罪のために、
その本質が変わっていないことが明らかになったとして、その滅亡を宣言いたします。
「クシュ人(エチオピア人=黒人)がその皮膚を、
ひょうがその斑点を変えることができようか。もしできたら、悪に慣れたあなたがたでも、
善を行なうことができるだろう。」(13:23)
「人の心は何より陰険で、それは直らない。」(17:9)
神様の失望のため息が聞こえそうです。
「たといモーセとサムエルがわたしの前に立って
(とりなして)も、わたしはこの民を顧みない。
・・・ユダヤの王・・・マナセがエルサレムで行なったこと(偶像礼拝)
のためである。」(15:1,4)
滅亡の原因を神様は明確にされます。「主こそ神である」ことを学ぶために
滅亡はユダの民にとってどうしても必要だと神様はお考えになりました。
@歴史
ヨシヤ王の後に即位したエホアハズはわずか3ヶ月でエジプトの王パロ・ネコによって、
エジプトに連れて行かれ、代わりにエホヤキムが王位に据えられます(U歴代誌36:1〜4)。
このエホヤキム王の第3年(BC606)に、バビロンの王ネブカデネザルが攻めてきて
(U列王記24:1,2、ダニエル1:1)、第1次捕囚でダニエルと3人の友だちなどが
バビロンに連れて行かれます(ダニエル1:3〜7)。
続いてエホヤキム王の第11年(BC598)に再びネブカデネザル王が攻めてきて、
エホヤキム王(U歴代誌36:6)を、続けて翌年(BC597)その家来たちがエホヤキン王
(U列王記24:10〜16、U歴代誌36:10)や預言者エゼキエル(エゼキエル33:21、40:1)
らを、第2次捕囚としてバビロンに連れて行きます。
そしてエホヤキン王のおじゼデキヤをネブカデネザル王は、ユダの王に据えます
(U列王記24:17)。
A預言
エホヤキムの第4年(BC605)にバビロンではネブカデネザルが即位します(エレミヤ25:1)。
この頃からエレミヤはバビロンによるユダ王国の滅亡だけでなく、捕囚、
支配を具体的に語るようになります。
エホヤキム王の第4年に、それまで語られたエレミヤの預言は書記バルクによって
巻き物に記されます。そして悔い改めを求めてユダの人々に向かって
読み聞かせられます(36:1〜8)。またエホヤキム王の第5年の第9の月には、
王自身にも読んで聞かせられます。けれどもエホヤキム王は、神様を恐れることなく、
悔い改めることなく、その巻き物を燃やしてしまいます(36:21〜24)。そのため、
神様は「わたしが彼らに告げた
あのすべてのわざわいをもたらす。」(36:31)と宣言されます。
ユダ王国とその周辺諸国、エドム、モアブ、アモン、ツロ、シドンは、
ネブカデネザルから3代のバビロンの王に仕えることになる、と告げます(27:3,7)。
けれどもそのバビロンの支配は70年間であって、そのバビロンもまた滅亡する、
と告げます(25:11,12)。
エホヤキン王の時代のエレミヤの預言ですが、
すでにエジプトに引いていかれた前々王エホアハズ(=シャルム)はその地で死ぬ、
と告げます(22:11,12)。そのとおりになります(U列王記23:34)。
前王エホヤキムは引きずられ埋められる、と告げます(22:18,19)。
バビロンに引いていかれ、その死は悲惨なものであったと思われます(U歴代誌36:6)。
そして現王エホヤキン(=エコヌヤ)はバビロンに捕囚になる、と告げます(22:24〜27)。
そのとおりになります。ネブカデネザル王の第8年(BC597)
のことでした(U列王記24:12)。
@歴史
ゼデキヤ王の第9年、バビロン軍の攻撃を受け、ついにBC586、
ゼデキヤ王の第11年にエルサレムは陥落します(39:1,2)。
神殿も王宮もエルサレムの町も炎に包まれ、城壁も壊されて、
神殿にあったものはバビロンに運び去られてしまいます(U列王記25:8〜17)。
ゼデキヤ王とユダの民はバビロンに第3次捕囚として
連れて行かれます(U列王記25:1〜21)。
A預言
このころのエレミヤの預言は、バビロンからエルサレムに、
ユダの民が帰還するという、バビロンでの苦痛に耐えることができるよう、
希望を持たせるものになっていきます。
エホヤキン(=エコヌヤ)に代えて、バビロンの王ネブカデネザルは
ゼデキヤをユダの国の王に据えます(37:1)。当時エルサレムはバビロン軍によって
包囲されていましたが、バビロン軍に下るべきだと主張するエレミヤが、
たまたま町から外に出ると門衛に、バビロンに落ち延びようとしていると疑われ、
捕らえられて投獄されてしまいます。ゼデキヤ王に助けられ、
王宮の監視の庭に移されかくまわれることになります。幽閉生活です(37:11〜21)。
ゼデキヤ王はエレミヤに、バビロン軍の包囲を解いてくれるように、
神様に祈ってくれと求めますが、エルサレムは必ずネブカデネザル王の手に渡され
火で焼かれる、と告げられます(21:1〜10)。
ゼデキヤ王の第10年、ネブカデネザル王の第18年(BC587、32:1)には、
「バビロンの王の軍勢がエルサレムを包囲中で
預言者エレミヤはユダの王の家の監視の庭に監禁されてい」(32:2)て、
まもなくエルサレムはカルデヤ人(=バビロン軍)の手に落ちようとしていました(32:25)。
そんな状況下にありながら、神様はエレミヤに、いとこのハナムエルから畑を買うように、
命じられます。神様は「再びこの国で、
家や畑やブドウ畑が買われるようになる」(32:15)ということばの確かなことを
人々に知らせ、回復への希望を持たせようというのです(32:42〜44)。
すでにエホヤキム王の時代にエレミヤは、バビロンによる統治は70年間であると
預言していました(25:11,12)が、このころエレミヤはバビロンに捕囚になっていった人々に、
バビロンに70年の満ちるころエルサレムに帰還することになる、と手紙で伝えます
(29:3,4、10)。これはすぐに帰ることができると言っている偽預言者たちの
あざむきをかわすためでした。後にバビロンで政変が起きたとき、
ダニエルに帰還のときが来ていることを悟らせることになります(ダニエル9:2)。
このようにこのころのエレミヤの預言は、エルサレムの滅亡が確実であることを
告げるだけでなく、捕囚は長期化するけれども、必ずエルサレムに帰還することを
明確に語り、ユダの民に捕囚に耐え抜く力を与えます。
エルサレムが陥落すると、ユダの王の家の監視の庭に幽閉されていたエレミヤは、
バビロンの王ネブカデネザルによって解放され(39:11〜14)、
さらにバビロンに降伏するようゼデキヤ王に進言していたことから、
バビロン宮廷での要職も約束されます(40:1〜4)。けれどもエレミヤは、
ユダに留まることを選択します(40:6)。
バビロン帝国の支配地となったエルサレムに、ネブカデネザル王は、
ゲダルヤを総督として派遣します(U列王記25:22、エレミヤ40:7)。
ゲダルヤはネブカデネザル王に倣い、ユダの民に好意的でしたが、
ユダの元王族のひとりイシュマエルによってわずか2ヶ月で殺されてしまいます
(U列王記25:24,25、エレミヤ40:9〜41:3)。そのためヨハナンたち、
ユダの将校たちはネブカデネザル王の怒りを恐れ、エジプトに逃亡しようとします(41:18)。
神様は、「エルサレムに留まれ。バビロンの王を恐れるな。
エジプトに行ってはならない。」(42:10〜22)と言いますが、
ヨハナンたちはこれを受け入れず、エレミヤも連れてエジプトに行きます。
主の御声に聞き従いませんでした(43:2〜7)。
神様はバビロンの王ネブカデネザルによって、エジプトの国も打つことを、
エレミヤに告げます(43:10〜13)。そしてさらにエジプトに行くユダの残りの者は
剣とききんと疫病によって罰せられ、ユダの地の帰れる者はほんのわずかだけである、
と告げます(44:11〜14)。このことはますますユダの人々の心をかたくなにさせ、
神様のさばきを決定的なものとしてしまいます(44:15〜30)。
第2次バビロン捕囚の後、神様は2かごのいちじくの啓示をエレミヤにしていました
(24:1〜10)。「一つのかごは非常に良いいちじく」
(24:2)とは、第1次、第2次捕囚でバビロンに連れて行かれた「イスラエルの残りの者たち」
のことでした。「わたしは、
良くするために彼らに目をかけて、彼らをこの国に帰らせ、彼らを立て直し、
倒れないように植えて、もう引き抜かない。また、わたしは彼らに、
わたしが主であることを知る心を与える。彼らはわたしの民となり、
わたしは彼らの神となる。彼らが心を尽くしてわたしに立ち返るからである。」
(24:6,7) はたしてそのとおりになったでしょうか。
歴史はどのように答えているでしょうか。確かにバビロンから帰還したユダの民も、
イエス様の時代のユダヤ人も、そして現在のユダヤ人にも偶像礼拝は見られないのです。
滅亡、捕囚という大きな犠牲を払ってユダヤ人は、主こそ神であることを
はっきりと学ぶのです。
「『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。
主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、
受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。』訓練と思って耐え忍びなさい。
神はあなたがたを子として扱っておられるのです。
父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」(ヘブル12:5〜7)
試練の中にあるクリスチャンに対して神様はこのように励ましてくださっていますが、
まさしく神の民ユダヤ人に対して神様は愛によってこのように導いておられたのです。
「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。
それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」(31:3)
「もう一つのかごは非常に悪いいちじく」
(24:2)は、「ユダの王ゼデキヤと、そのつかさたち、
エルサレムの残りの者と、この国に残されている者、
及びエジプトの国に住みついている者」(24:8)のことで、
滅亡が宣告されます(24:9,10)。「ユダの残りの者たち」は神様に聞き従わなかったために、
ますます神様の怒りを買うことになってしまうのです。
「エレミヤ書」の記事はここまでです。
エレミヤの生涯は、エルサレムを愛し、悔い改めを求めて叫ぶけれども、
受け入れられない、という苦渋に満ちたものでした。
「エレミヤ書」の次に「哀歌」が収められています。これはエレミヤが
バビロン捕囚の後に、焦土と化したエルサレムを悼んで泣き悲しみながら作った歌です。
エレミヤより600年の後、ゴルゴダの丘の上に十字架が立てられました。
そのゴルゴダの丘の中腹にある洞窟で、エレミヤは涙を流しながら
この「哀歌」を残したそうです。
「哀歌」は全部で5章ですが、それぞれへブル語のアルファベット
22文字から始まることばによって構成されています。日本語の聖書ではわかりませんが、
ユダヤ人にとっては覚えやすく作られています。ユダヤ人は現在でも
エルサレムの町が破られた日、「第四の月の九日」
(39:2、52:12)にこれを会堂で朗読しているそうです。
そうして二度と滅亡の原因となった、神様を捨てて偶像礼拝に走ることなく、
主こそ神であることを覚え続けているのです。
福音書にはイエス様が涙を流された記事が2回出てきます。
一つはラザロが死んだとき、もう一つはエルサレムの街を見たときでした。
イエス様がベタニヤ村の近くまで来たときには、
すでにラザロは死んで4日経っていました。イエス様はラザロのお姉さんのマリヤや
彼女と一緒に来たユダヤ人たちが泣いているのを見て涙を流されました。(ヨハネ11:35)
イエス様はラザロとの別れがつらくて涙を流されたのでしょうか。
生きているうちに到着していやしてあげることができなかったことを
悔やんで涙を流されたのでしょうか。いいえ、イエス様はこの後、
ラザロを墓の中から呼び出されるのです。死んだ者をよみがえらせるのです。
では、どうして涙を流されたのでしょうか。それは死に対して
いかに人が無力なものになってしまったか、死の原因である罪に
いかに完全に支配されてしまったか、そのために霊の憤りを覚え、
心に動揺を感じて涙を流された、ということではないでしょうか。
イエス様はエルサレムに向かって歩みを進めておられました。
そして都を見られたイエス様は涙を流されます。(ルカ19:41)
どうして涙を流されたのでしょうか。まもなくつくであろう十字架の苦しみに
圧倒されて涙を流したのでしょうか。いいえ自分のためにではなく
「その都のために」涙を流されたとあります。
ユダヤ人のためにイエス様は神のみもとからおいでになってエルサレムを都とする王国を
築くはずであったのに、その王を退けてしまったためにエルサレムは
逆に滅亡の道をたどることになってしまいます。実際イエス様の十字架の後、
AD70、ティトス率いるローマ軍によって、神殿は炎上、エルサレムは陥落します。
ちょうどエレミヤの呼びかけを受け入れないで
バビロン軍によって滅亡したときのエルサレムと同じ有様です。
イエス様は悔い改めて神様に立ち返るように呼びかけるその声に応えないで
滅びに向かって突き進むエルサレムのために涙を流されました。
神様は、またイエス様は、わたしたちが永遠の滅びを刈り取ることがないようにと、
十字架による贖いの道を用意してくださいました。
そのうえで悔い改めを呼びかけておられます。エレミヤの時代のユダの人々のように、
あるいはイエス様の時代のユダヤの人々のように、神様を嘆かせることのないよう、
どうぞその呼びかけに応えてください。