アブシャロム


 今回は、「アブシャロム」のことを書こうと思います。サムエル記第に記されています。 すでに「ダビデの将軍ヨアブ」のときにも登場しておりますので、 アブシャロムについて詳しく書くのはやめて、「悔い改め」というテーマで ポイントを絞って書こうと思います。

 「ダビデの子」の冒頭で触れましたように、アブシャロムは、 ダビデの3番目の息子になります(3:3)。その容貌はこのように記されています。 「イスラエルのどこにも、アブシャロムほど、 その美しさをほめはやされた者はいなかった。足の裏から頭の頂まで 彼には非の打ちどころがなかった。」(14:25)  特にその髪が豊富なことは際立っていたようです。(14:26)  美しい女性がしばしばその内面が相反するものであるように、アブシャロムも、 その人物について語るならば、悔い改めることを知らない人といえるでしょう。 生涯、悔い改めることをしなかった人です。彼の父ダビデと合わせて考えてみましょう。

 ダビデはすばらしい人でしたが、またたいへん失敗の多い人でもありました。 けれども神様に愛されたのは、「悔い改め」にありました。 失敗をしても悔い改めて神様に帰るのです。この点においてダビデは際立っていました。

 アブシャロムは、神の民イスラエルの王ダビデの家に生まれましたが、 生涯悔い改めることのない人でした。妹タマルが、異母兄アムノンに犯されます。 するとアブシャロムは怒って、なんとしてもこのアムノンを滅ぼそうと考えます。 それで機会をうかがい、計画を立てて殺してしまいます。そして逃げます。(13章)

 ダビデの将軍ヨアブが仲立ちに入ってエルサレムに戻ることが許されます。 けれども年間ダビデは会うことを許しませんでしたので、 アブシャロムは仲立ちしてくれたヨアブの畑に火をつけ、驚いてとんできたヨアブに、 ダビデ王に面会できるよう手配してくれ、と言います。ダビデ王は会って口づけします。(14章)

 するとアブシャロムはダビデの政権を狙って、ダビデに対する不平分子、 特にサウル王に仕えていた者を手なずけて謀反を起こします(15:1〜12)。 そしてとうとう殺されてしまいます(18:9〜15)。

 アブシャロムの生涯は、悔い改めがなく、怒りが抜けませんでした。 そして復讐を行います。信仰によって、ダビデ王が神より油注がれた者という恐れがなく 認めることがありませんでした。多くの人はアブシャロムのように、 「神を知っていながら、その神を神としてあがめず、 感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなっ」 (ローマ1:21)ています。

  ダビデのことを少し見てみましょう。何よりも神様に対する信仰はすばらしいですね。 そして多くの人をひきつける人格、詩篇などを記した知性、一代で建国を成し遂げた手腕。 けれどもアブシャロムのことに見られるように、家庭を治めることにおいてはダメでした。 多妻(3:2〜5)、またアブシャロムの母親が異邦人(3:3)であって その教育が信仰によって行われていなかったことの影響も大きかったでしょう。 そして何よりもバテ・シェバとの不品行の失敗(11章)により 自分の子どもについての判断ができなくなっていたようにも思えます。

 ですからアムノンがタマルをはずかしめても、激しく怒っても、処置ができません(13:21)。 アブシャロムがアムノンを殺しても、激しく泣くだけで、処置ができません(13:37)。 アブシャロムを赦しますが、あいまいなものでした(14:24)。 アブシャロムが謀反を起こし殺されても「ああ、 ・・・アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」(18:33)と泣くばかりです 。親の愛情としてはわかりますが、自分の子についての判断がダビデにはできなかったようです。 これが人間の弱さというものでしょう。ダビデであってこうですから、 誰にでも弱さがあることがよくわかります。

 しかしこのような弱さによって失敗を繰り返すダビデですが、 自らの罪を認め悔い改めることについて躊躇することはありませんでした。 すでに「ダビデの悔い改め」のときに見てきましたように、 バテ・シェバのことで失敗したときには本当に悔い改めました(12:1〜15、詩篇32:1,2,5)  アブシャロムに政権を追われ逃亡しているとき、シムイという人が来て、 ダビデをのろい、「血まみれの男、よこしまな者。 主がサウルの家のすべての血をおまえに報いたのだ。」(16:7,8)と言います。 アビシャイが「首をはねさせてください。」(16:9) と言いますが、ダビデは「私の身から出た私の子 (アブシャロム)さえ、私のいのちをねらっている。・・・彼にのろわせなさい。 ・・・たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、 私にしあわせを報いてくださるだろう。」(16:11,12)と言って止めます。 「血まみれの男」と言われたとき、 ダビデはすぐにわかったでしょう。かつてサウル王に仕えペリシテを打って 「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」 (Tサムエル18:7)と賞賛されたときから、戦いの中に生きてきました。 サウル王がペリシテとの戦いで死んだあと、ダビデは7年6ヶ月、ユダの王様となりました (2:11)。そのときサウルの子イシュ・ボシェテを押し立てているイスラエルとの戦いがあり、 イシュ・ボシェテ初めサウルの子孫を殺すことになります(4:7)。 ウリヤを敵の手によって殺させたこともありました(11:14〜17)。 ですからシムイに「血まみれの男」と言われたとき、 ダビデは自分をさばき、「主は私の(悔いた) 心をご覧になり(もういちど)私にしあわせを報いてくださるだろう。」(16:12)と言うのです。 ここがダビデのすばらしいところです。

  ついでにサウル王のことも見てみましょう。サウル王もまたアブシャロム同様、 自分をさばくことがありませんでした。自分をさばいたとしても、 口先だけで実がありませんでした。

 神様から「アマレクを聖絶せよ。」と命じられ、アマレクを滅ぼしに行きますが、 アマレクの王アガクを生けどりにしたり、肥えた羊や牛のよいものを惜しんで 残してしまったりします。けれども神様からそのことを指摘されると 「主にいけにえをささげるため」と言い訳をします。(Tサムエル15章)

 ダビデがサウル王の寝ている幕営に入り、サウルの枕もとの槍と水差しを持ってきて、 「殺すことができたけども殺さなかったんだ」と言うと、サウル王は 「私は罪を犯した。」と言いますが、ダビデを赦すことはありません。(Tサムエル26章)

 このように本当の悔い改めは、サウル王には見られませんでした。 サムエルのとりなしのある間は、神様はサウル王を立て続けますが、 サムエルが死ぬとまもなくサウル王も戦死します。

 ダビデは失敗が多くありましたけれども、その都度、悔い改めました。 サウル王は悔い改めを装いますが、その実はありませんでした。 そしてアブシャロムはまったく悔改めのない人でした。

 バプテスマのヨハネの宣教の初めのことばは、 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」 (マタイ3:2)でした。イエス様の宣教の初めのことばも、 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」 でした。私たちはイエス様から何をまず聞かなければならないでしょうか。 イエス様の来臨の目的が、神様への悔い改めの勧めであるとすれば、何をおいても 、神様の御前における罪を悔い改めて神様との和解をすることです。

 悔い改めとは方向転換をすることです。今までは自分中心で生きてきました。 今度は神様を中心に生きるのです。悔い改めるということは、負けるのではありません。 自分を中心に考えるとそのように思えてきます。そうではなく、 本来の人間の生きる姿に戻るのです。それはすばらしい生き方です。 なぜなら人間は神様とともに親しく交わるものとして創られたのですから。

 どうかダビデの生き方に倣って、すばらしい人生を生きられますように。